神の愛を知った瞬間 

神の愛を知った瞬間
by東 たつお
私が救われたのは、と言いますか、洗礼を受けたのは友人の強い勧めと、再臨のイエス様が明日にでも来られたらどうしようという切迫感からでした。その時は地獄に行きたくないからイエス・キリストを信じようと決めたんです。「地獄がなかったら、私はイエスキリストを信じない。」しばらくは本気で私はこう言ってました。地獄へ行きたくないから恐ろしくて信じたんですね。その時は神の愛がわからず、また十字架の意味が全くわからなかったんです。
しかし、ある日、教会の玄関にあったゴルゴダに向かう十字架を背負ったキリストの絵を何気なく見ているとき、すごいことが起こったのです。絵の向こうから、私の心に声がするのです。「私はお前のためにも苦しんだのだ」と細い声で聞こえてきました。その絵の前で立ち尽くした私は涙が溢れて止める事ができませんでした。それは嬉しい時の感動の涙でした。背中にジーンと電気が走ったような感じです。洗礼を受けて約5年は経っていたでしょうか、突然神様の愛が1対1でわかったのです。「十字架の苦しみは私のためでもあったんだ!」心の中でそう叫びました。感謝と喜びで溢れました。今まで神様を恐ろしいから一生懸命信じていた私は間違いに気づいたのです。それ以来、ローマ人への手紙の意味が本当にわかってきたのです。神様はありのままの私を愛してくださってたんです。それから、私は全てに恐れがなくなりました。本当に聖霊様の体験をしたのです。膝の痛みが瞬間に癒されたこともありました。しかし、そんなことよりも神の愛の心を知れたことが何より感謝なことでした。聖書に書いてあるとおり、2000年前から約束された聖霊が今もこんな私に下さるなんてまさしくアメイジンググレイス(びっくり仰天の恵)です。
今は、地獄や裁き主が恐いから信じているのではなくて、神様が素晴らしいから、愛してくださっているから、神様の元に行きたいんです。そしてこの素晴らしさを伝えたいんです。