「赦しは愛の動機。」

2013年11月3日今週のメッセージ
「赦しは愛の動機。」
それであなた方に言うが、この女は多く愛したから、
その多くの罪は赦されているのである。
少しだけ赦された者は、少しだけしか愛さない。
ルカによる福音書7:47
人を赦すということは非常に難しいことです。
人を赦せるようになるためには、まずは自分の罪を知る事です。
自分が正しいと思う人はけして赦されたいと思わないのです。
健康であると思う人は、病院に行かず、病気かなと思った時に
病院に行きます。
聖書は言います、この世の人は全て罪人、義人はいないのだと。
神様は私達は皆罪人であることを悟りなさいと言うのです。
心に憎しみを持った時点で、もうそれは殺人だと言います。
人間は皆、自己中心です。それが罪の念を生じさせるのです。
罪は霊の病です。この霊の病が癒やされるために
赦しを与えられたイエスキリストのもとに心を向けるのです。
あなたは自分で自分が罪を犯してないと言い切れるでしょうか?
自分の罪が判ればれば判るほど、私達の罪の身代わりと
なって死なれたイエスキリストの御業を神の愛として、
神の赦しとして信じるのです。この赦しを受け入れたなら、
誰も裁けなくなり、赦さざる負えなくなるのです。
勿論、悪を見逃す(許す)のではなく、謝罪する者を赦す
ということです。
譬え話ですが、
ある雇人が主人に願って、借金を全部帳消しされたのに、
その雇人が貸していた友の借金がありました。
その友も帳消しを願ったのに帳消しにせず赦さなかったのです。
哀れみを受けたのに、哀れもうとしないこの態度は神が赦さないのです。
赦すことは、愛の動機になります。
神の愛はイエスキリストの十字架の犠牲で赦すことを示されました。
まず、赦すことができるためには、神に赦された事の恵と平安
を受けることです。自分がどれだけの罪人であるか、
どれだけ神に赦されているかを知ることです。
自分の罪の深さを知れば知るほど、赦された恵が多くなります。
神の赦された大きな恵を受け取る事で、人を赦すのです。
私達も赦された恵の大きさで人を赦さなければなりません。
それは、神の愛を受けた人が、愛する人になると言うことです。
かく言う私も、イエス・キリストを信じて愛することの必要を知りました。