礼拝2013年4月28日

2013年4月28日 主日礼拝のメッセージ
「更に父に愛されるために④」

ヤコブへの手紙4:5~10

私たちは、知らず知らずのうちに高慢になってしまいます。自分は高慢でないと思っていて気づかないうちに人を傷つけていることがあるのです。それは自分を守ろうとするプライドが人を見下げたり、自分より上の人を妬んでしまうのです。人の上に立つ人ほどこのプライドは上げられていきます。知らず知らずのうちに自分の存在を大きなものにして、自分の存在価値を他人に要求してしまうのです。それが自分を神とする高慢さなのです。そしてそれは野心的な欲望なのです。恥ずかしい事ですが、私も周りの人から気づかされた事があります。それに気づいて自分を変えることができるなら幸いなのです。
小さい例えですが、ブランド物のカバンが好きな人は2種類の人がいます。そのブランドの商品が良いから買う人と、そのブランドの商品を持って優越感を得る為に買う人です。みなさんはどちらですか?
私は若い頃カーステレオを売る商売をしてたことがありますが、多くの人は安くてもケンウッドというメーカーのステレオを買っていきます。ケンウッドのマークがかっこいいからです。しかし同じ価格なら、こちらのほうが音がいいですよと言って勧めても、音の悪い安物のケンウッドを買っていきます。本質を求めないで、見栄を張る人が案外多いことに驚きます。
人は自分を誇示しようとします。これが罪に結びついていくのです。悪魔もこれを利用して神さまから反らそうとします。誇示は高慢になる要素になります。
弟子たちは自分がイエスさまの一番弟子だと言って誇示しようとしました。ところがイエス様は「自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高められるであろう。」マタイ23:12 いちばん偉い人は仕える人でなければならないと、教えられました。これは、普遍的な真理です。”誰でも”とイエス様は言ってます。神さまを信じる人も信じない人も皆そうなのです。
更にヤコブは言います。「高ぶるものを退け、へりくだるものに恵みを給う」
神は私たちの中に住まわせた霊と魂をこよなく愛しておられます。妬むほど愛していると言われます。欲望から富を望む事により、悪魔の方に行ってしまう。そのような人を妬まれる神様です。しかし、高慢になり欲のゆえに神から離れるようなことがあっても神はそれでも悔い改めて自分の愚かさを知り、神のもとに立ち返るなら、赦して下さり、抱きしめて下さり、めぐみを賜ってくださるというのです。(放蕩息子の話ルカ15:11~)
常に高慢にならぬように自分を点検し、自分を低くして、その姿勢を忘れずに自分を管理できる人は更に神さまの恵が大きいことでしょう。