礼拝2013年5月5日

2013年5月12日 主日礼拝のメッセージ
「神の国では誰も誇れない」
エペソ人への手紙2:8~10
「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それはあなたがた自身から出たものでは無く、神の贈り物である。決してあなたがたの功績ではない。それは、誰も誇ることが無いためである。私たちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は私たちが良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えてくださったのである。」

悲しいことに、私たちは生まれると同時に死ぬ事が定まります。スタートしたとたん、死のゴールに向かっているのです。
これでは「生まれなかった方が良かった」と言いたくなる人はたくさんおられると思います。私も自分の劣等感に押しつぶされそうになり、自分の存在を呪ってしまうことさえありました。
死というゴールに向かうマラソンランナーは、はたして力強く走れるでしょうか?当たり前の事ですが、人生と言うマラソン
には希望が無いのです。しかし、神様(創造主)は、私たちをこの世限りの存在として、無駄に造られたのでしょうか?そうではありません。私たちのゴールに、死後の命を保証する約束をしてくださったのです。それがイエスキリストによる永遠の命を与える霊魂の救いなのです。この救いをゴールと知っている人と、ただ死だけをゴールだと思っている人の走り方は全く違ってくるのです。神は私たちに永遠の命を約束しております。その約束を信じる事ができるように神の御子イエスキリストを肉体に宿って遣わされたのです。歴史の事実として神の約束が現されたのです。(旧約聖書の預言と歴史の事実が証明)                                                      多くの人は「そんなの死んでみなければわからないじゃないか」と言います。そのような人は「当たるか当たらないか、わからないので宝くじを絶対に買わない」と言っている人だと言えます。(私は実はこういうタイプ)。しかし、くじに当たる希望を手にする人はその希望でワクワクするはずです。そのように人生を歩くことができるのです。もっとも、神の救いはくじでは無く確実です。その値は無尽蔵の富だと聖書は記しています。神の国の永住権が私たちのゴールになるのす。                                                      そしてそれは私たちの功績で与えれるのでは無く、神の一方的な哀れみで信じるもの全てに与えてくださいます。それは神の御前に誰も誇ることが無いように、すべての者が平等で公平に愛し合うことができるようになるためです。神の救いの計画はシンプルかつ完璧です。
あなたも救いの約束をどうぞゴールにしてください、もし仮に嘘だとしても希望を信じて生きる事はプラスになってもマイナスの要素は決してありません。その希望によって、人は正しい道を歩き、神の良き作品として神の愛の内に完成していくのです。                                                      最後に一言、雨が降るか降らないかわからない天気であるなら、傘を持っていく人が賢明な人ですね。 今、私は生まれてきて良かったと言える日々を歩いています。神を信じて、儚い人生ではなくなったのです。希望、価値ある人生と知ったのです。