礼拝2013年10月20日

2013年10月20日のメッセージ
「狭い門から入れ」
狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、
その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
命にいたる門は狭く、その道は細い。
そして、それを見いだす者が少ない。
                 マタイ福音書 7:13
誰が言ったのか「赤信号みんなで渡れば怖くない」
と子供の頃聞いたのを思いだします。
また、駐車違反の切符を切られたおばさんが
「みんな、停めてるや~ん」と言うCMもありました。
私も、昔、同じ失敗をした記憶があります。(笑い)
日本人は特にみんながしているから私も良いのだと
相対的な判断で安心感を覚えます。
ブランドの服など流行りものは、みんなが持っているから、
みんなに自慢できるからと言う基準で欲しがります。
回りから相対的に判断する日本人ですが、
宗教だけは世界の3割以上が信じられているキリスト教では無いのです。
聖書を元にして信仰を持っているのがユダヤ教、イスラム教ですが、
それらを合わせると世界半数以上の人達が聖書の創造神を信仰しています。
世界の中で仏教はと言うと1割に満たないのですが、
日本人の宗教は仏教だと言います。これは、400年前に
徳川幕府が信仰拡大してきたキリスト教を排斥しようと
弾圧したからなのです。それに代わる宗教としてお寺を各地に
建てて、隠れキリシタンを見張り廃絶させたのです。
日本にお寺が多いのはそう言う背景があるからなのです。
この時代では、救いは確かに狭い門だったのです。
さて、この聖句の次に、「偽預言者に気をつけなさい」と教えてます。
滅びに向かう道というのは誰でも行きやすく、もっともらしい
正しい道のように見えるものです。誰もがその道に行きたくなるように
罠が仕掛けてあります。その上、権威や権力で脅される事もあります。
ネット社会でも詐欺にかかるほとんどの人は、こう言う甘い誘惑に
乗ってしまう人です。「うまい話には必ず裏がある」と思わないと
騙されてしまう人が多いです。楽してうまい儲け話に飛びつく人が
、騙されてしまいます。また、本物のように見せることがうまいです。
悪魔は天使に偽装するとありますから、その本性を見抜かなければ
なりません。その目的は野心的で金銭と情欲と名誉が絡んでいます。
神は偽者があるから、騙されないように注意しなさいと教えています。
みんながしているからと言って正しいとは限りません。よくよく調べて
見ると必ずしっぽが見えてきます。騙されないように慎重に
道を決めなければなりません。
騙されないようにするためには、欲望をこの地上の物ではなくて、
神の国の欲望を持つことなのです。それが、この世に勝つ力になります。
聖書はこう言います。
「富むことを願うのは悪の根である」Ⅰテモテ5:7~9と
「神の国を思い、この世に物に心奪われるな」コロサイ3:1
「まず神の国と義を求めなさい。天に宝を蓄えなさい」
とあります。               マタイ6:33
この世のものを排他的に生きるのでは無くて、
まず神の国を自分の最大の欲望にするのです。
永遠の命の約束と無尽蔵の富が与えられる約束を信じるのです。
死んで蘇った方が約束されたのですから、確実だと信じるのです。
そうすれば、この世の物は全て色あせて見えます。
私も、神を信じた時、お金がただの紙切れに見えるようになりました。
お金では、いのちは買えない。真の幸せも買えない。
この世の見えるものは、全部消えて無くなるものなのです。
天国ではお金で何も買えません。
この世で大儲けしようと切望している人は騙されることが多いのです。
また騙す側にもなります。これはもっと最悪ですね。
しかし、神が与えてくださる約束を確信する事で、
この世の誘惑にけして負けることはありません。
ましてや、この世においても、衣食住必要な物は皆与えてくださると
言うのですから、安心です。本当に素晴らしい事です。
信じますか?信じる人は幸いです。
私事ですが、私は神の国のために大阪市の公務員を辞めて献身しましたが、
今尚、必要な物を何不自由なく主が与えてくださっています。
大阪市を辞めるという決心は、私の狭き門、険しき道に入る事でした。
しかし、神様は必ず保証してくださると信じて踏み出した決心です。
その決心の道を歩く時、神はその人を祝福するのです。
しかし、多くの人は目先の安堵感だけを見て道を選びます。
私はどちらかと言えば石橋を叩いて渡る慎重なほうです。
ですが、神の国の約束を確信出来たのです。
神の愛を確信したのです。目で見えない神を、約束を信じる事が
出来ました。それは神の国を求めた結果なのです。
さて、昨今いじめの問題が絶えません。
多くの人は、自分を守る為に悪を是正するのです。
これは利己主義的な考えにしか成れない人間の罪の結果です。
善を行う時、人がどう思うか、人の目を気にしたらダメです。
神様は、人を愛する事と、神が喜ぶと思う道を選択することを、
人間に教えているのです。
「なすべき善を知りながら行わないのは罪である。」ヤコブ4:17
「神は喜んで施す人を愛してくださる。
また、そのためにその必要を備えてくださる」
Ⅱコリント9:6~8
しかし、神が用意してくださる神の国のため、自分の永遠の命のために
犠牲を払うなら、必ず今以上に恵みを与えてくださいます。
2つの道を選ぶ決心の時が重要です。そこが信仰になるわけです。
正しい道とは困難に見えても、神の戒めによって進む道。
神の御言葉を聞いて行うものになりなさい。(マタイ7:14)
人をさばくなと聞いたらさばくな、赦せと聞いたら赦せ、
求めよと聞けば求める。神の戒め通りに生きるとは、愛すること。
愛する事はイエス様の十字架がお手本です。
それは自分にも犠牲を求められます。
神の御言葉のゆえに困難が来たら逃げ出すような、
石地に蒔かれた種になってはいけないのです。(マタイ13:10)
神の愛を得た人は、恐れを取り除かれ、勇気が出てきます。
いじめられている人を見たら守ってあげる力がでます。
それはあなたにとって狭き門、細き険しい道になります。
しかし、その向こうに命があり、神の力があるのです。
自分の肉の命を活かすために生きるなら滅びます。(利己主義的な生き方)
しかし、自分の霊魂を活かそうとする時、肉体の縄目から開放されます。
それが狭き道を歩く力になるのです。ガラテヤ6:7
それは多くの人が行く道から一人反れて孤立するかも知れない道。
烏合の集になってはいけません。神の正しさを求めなければなりません。
そのために、親しい人から嫌われたり、苦しさが伴うかも知れません。
しかし、耐えうる力を神は必ずくださるのです。そして、必ず祝福されます。
神の祝福がありますように・・