礼拝2013年11月17日

2013年11月17日今週のメッセージ
「神の愛を信じる」
ローマ人への手紙8:37~39
■神を信じると言っても、どう信じてわからないのが日本人です。
と言うのも、日本の神道宗教では神様の思いなど全く知らないので、
ただ人間側から一方的にお願いしているだけで、災難が起こらぬように
なだめ、静まってもらうためにお祭り事などをいたします。
神様がどんな気持ちであるか全くわからず、ただ恐れて,
漠然に信じているに過ぎないのです。そこには実態が無く
約束も無いので信じる対象になりえないのです。
誰かを信じると言う時には、相手の心を知ること無しには無理です。
相手が、自分のことを大切に思い、決して悪いようにはしないと
安心する関係を保つことができるのが信じる関係ということです。
あの方は私を大切にしてくれる根拠がある。
私をけして悪いようにはしないと信じ切る事を信仰と言います。
信仰は神と人との信頼関係なのです。
残念ながら、人間は裏切ることがあります。
それで人間不信になって壊れていく人が多いです。
自分を活かすためだけに生きるすべを見い出すために、
仲間を陥れたり、自己擁護の為に裏切り、
互いに信頼できずに疑心暗鬼になるのです。
しかし、聖書の神様は決して私達を裏切らないということなのです。
■神は愛だと言います。愛するとは言い方を変えると、
「大切にする想い」とも言えます。聖書の神の戒めは
「自分を大切にするように、身近な人を大切にしなさい」と教えます。
その最大は、友のために命を捨てることです。親の愛は子供のために
犠牲にできることは確かにあるでしょう。しかし身内でなくて
友という関係の上です。
神様が私達を大切にして愛しているかなんてどうして判るでしょうか?
2つあります。
1、イエスキリストの十字架の業の意味を知る事です。
2、聖霊様を送ってくださるように祈り求める事です。
この2つであなたは間違いなく神に愛されていることがわかります。
■しごく簡単なのですが、真剣に求めようとしないから得れないのです。
日本人は八百万の神の中の1つとしてキリストを見てますから、
なかなか、真剣に求めようとしません。真実の神様を求める人は
必ず出会えるようになっているのです。詩篇14篇に「天から
人を見をろして神をたずね求める人があるかないかを見ておられる」
とあります。
敢えて神様は、求めない人に判らないようにしておられます。
それは私達には測れない神様の知恵なのです。
■ヨハネの第1の手紙4:7~21で、
まず神がイエス・キリストを通して私達を愛してくださった。
私達が神を愛したのでは無くて、神が先に私達を愛しておられたのです。
私達に対する神の愛を知って、互いに愛し合いなさいと言ってます。
人を造られた神は、人を大切にされています。その想いを身をもって
現されたのがキリストの十字架です。神の御子でありながら人の肉体を
所有されて自分の肉体を犠牲にし、十字架にかかり私達の罪の身代わりと
なって死んでくださったのです。神の赦しと救いをお示しになったのです。
この神の愛を受け入れると言うことが「信じる」と言う事です。
そして、神様の愛を知る事で愛することの大切さを知り
神様が愛されたように、我々も互いに愛し合い、大切にし合うよう
なっていくのです。これが神様の御心です。
私の身の回りの人を見ても、互いに腐し合う事が普通でも、褒め合う習慣は
ありません。何故でしょうか?愛する事の基準を知らないからです。
上辺では良い言葉を並べても、影では身近な人の悪口を平気で言うのです。
過去クリスチャンも、戦争をしているではないかと言われますが、
自称クリスチャンが救われるので無く、神がその人の信仰を見て
救われるのです。名ばかりのクリスチャンが多いのは否めません。
■愛することの大切さを神はすでに十字架上で私達に示されました、
神の愛を知らずに生きる事は自分本位で生きる事であり、
その人はただ滅亡に向かうだけなのです。
何故なら、造り主の御心に沿わない存在になるからです。
だからこそ神は「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ」と
私達に勧めておられるのです。
■信じるとは、
神が私達人間を愛しておられるという事を受け入れる事です。
それなら何故神様が愛なら全ての人を救わないの?
信じないと救われないの?と質問する人は少なくありません。
事実、私も最初はそう考えました。
そこであなたに質問します。
あなたは自分の結婚式に誰でも無差別に招待するでしょうか?
同じように神様も神様の御心にかなう人を招かれるのです。
神様の愛を受け入れる人だけを神の御国に招待するのです。
それがイエス・キリストを信じれば救われるということです。
神様の一方的な愛を信じ受けられるように心からお勧めします。
そうすれば、誰であっても、どんな権力であっても
神の愛からあなたを引き離すことは出来ないのです。