礼拝2014年3月23日

2014年3月23日のメッセージ
「光に照らされよう」
ヨハネによる福音書3:16~21
神は、実に、そのひとり子をお与えになった
ほどに、世を愛された。それは御子を信じる
者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の
いのちを持つためである。神が御子を世に遣
わされたのは、世をさばくためではなく、御
子によって世が救われるためである。
御子を信じる者はさばかれない。信じない者
は神のひとり子の御名を信じなかったので、
すでにさばかれている。
そのさばきというのは、こうである。光が世
に来ているのに、人々は光よりもやみを愛し
た。その行いが悪かったからである。
悪いことをする者は光を憎み、その行いが明
るみに出されることを恐れて、光のほうに来
ない。しかし、真理を行う者は、光のほうに
来る。その行いが神にあってなされたことが
明らかにされるためである。
①光に照らされる
最近、6畳の居間に12畳用のLED の電灯に
交換しました。蛍光灯の寿命が来たのですが、
特殊な蛍光灯でかなり高かったので、安いLED
を探しました。早速使ってみましたが非常に
明るく本も見やすくなりました。しかし、汚
いところが目立つようになったのです。慌て
て掃除をしたのです。
光に照らされると目に見えなかった汚い部分
が見えるようになります。それまで、わかっ
ていたのですがあまり人目に付かないからい
いかなと思っていたのですが明るくされると
これは恥ずかしいのです。
イエスキリストは全ての人を照らす真の光だ
と言います。
光が射すと、暗闇の中で分からなかった事が
あからさまにされます。自分の汚れている部
分が分からずにいた事に気づくのです。光に
照らされる事で、自分を掃除する人は幸いで
す。光に近づくことができるからです。
「白い巨塔」というドラマが流行りましたが
病院の保身ゆえの隠蔽工作の話です。人は誰
でも良心があり正義感があります。しかし、
明るみにそういう正論を言っていると生きて
いけない事情が必ずどこにでもあるのです。
闇の中でも既に自分の汚さを分かっている人
は(自分が分かっていて悪を行っている人)
は中々暗闇から出ようとしないのです。その
回数が増えれば増えるほど汚さが麻痺して当
たり前のようになり、その人を蝕んでいきま
す。それは最後には自分が生きていくための
正当化さえするのです。それが当たり前にな
れば、もしあなたがその病院のスタッフなら
どうでしょうか?
その悪の正当化は暗闇から光を憎み寄せ付け
ないのです。逆に、自分を正当化するために
光の存在を陥れようとします。これが悪魔の
本質です。私たちは暗闇で同じ穴のムジナに
なってはいけないのです。悪魔は人の実生活
の弱みに付け込み、光の方に行かないように
働きかけます。
こういう目立った罪は無いにしても、人は年
を取れば取るほどに見えない罪の自覚が増え
ます。全知全能の神の前で私には罪が無いと
言い切れる人がいるでしょうか?私ももちろ
ん恥ずかしいほどの立派な罪人なのです。し
かし赦された罪人となったのです。
②赦される神の愛を受ける
光に照らされる時、私たちは自分の汚さをも
っと知ることになります。神の御言葉によっ
て裁かれるのです。もし、自分を砕き神の前
に近づくならイエス様はそんなあなたのため
にこう言ってくださいます。
「私は貴方を決して裁かない、あなたの罪の
ために身代わりとなったのですから。安心し
て私の下に来て休みなさい。」
と言ってくださるのです。
赦されたなら、その人の罪悪を帳消しにして
リセットボタンを押されたようなものです。
新しく生まれ変われるのです。
この赦しを受けるために、自分が赦されるべ
き人間だと知る必要があります。闇な中から
出ようとしない人は自分の汚い部分をさらけ
出せず、常に自分が正しいと正当化しようと
する傲慢さが、プライドが、神の光に近づこ
うとさせないのです。特に真面目に一生懸命
努力して自分の力で自分を築き上げた人ほど
自分を信じて、神様の御言葉に耳を貸すどこ
ろか自分の正しさを押し付けます。私も神様
を紹介するのにお勧めしますが、決して自分
の考えではありません。神様の恵みを伝えて
いるだけなのです。イエスさまは「聞く耳の
あるものは聞きなさい」と言われます。
神様は闇の中から出て来て、私の下に来なさ
いとおっしゃっているのです。アダムは罪を
犯したゆえ隠れました。しかし今や隠れない
で赦してくださる神の近くに行く事これが人
生の成功者になれるのです。人生の成功者と
は自分の考えを捨てて神の元に帰ることです。
③自分を自分で砕く
神様は、自分を崩し謙遜なる者に恵みをたま
います。それは自分の立場と位置をわきまえ
た人なのです。
陶器が陶器師に「なぜお前は俺をこんな風に
作ったのか?」と文句を言えば陶器師は思い
のままにこの陶器を処分するでしょう。陶器
師には造り主として権限があるのです。創造
神の視点に立って物事を考えると私たちが神
の前にどのような存在かはお分かり頂けるこ
とと思います。
多くの人は自分中心で神を見ます。自分の理
想の神様を想像して自分に都合の良い神を勝
手に作り出すのです。これが聖書の言う罪な
のです。神様は「自ら有って有る方」だと申
されます。この世は創造神が中心なのです。
創造神に向かって、文句を言うあなた。また、
神が愛なら信じなくても黙っていれば救って
くれると勝手な事を思うあなた。それは完全
に間違っているのです。(私も初めはそう思
ってました。)
神様の意思に沿わなければ私たちの存在価値
が無いのです。それを聞いて怒る人がいます。
「そんな神なら要らない」と、しかしその人
は理想の神様を勝手に描いているだけです。
神は私たちの想像の産物では無く、自ら存在
されるお方なのです。それが分かった時、素
晴らしい神の恵みと平安が支配するのです。
これは、人間が高慢にならずに神を愛して、
人を愛する神の国の住人となるために必要な
神の御旨なのです。全ての人が人として生き
る存在価値は神様に掛かっております。私た
ちが神の光に照らされなければ、我々は闇の
中のままで、時が来ればこの闇は処分される
だけなのです。それが聖書の神のご計画です。
ですから、わたしたたちは闇から脱出するた
めに光の元へ、主イエス様の元へと近づきま
しょう。私たちが近づくなら神様も近づいて
くださいます。しかし、拒絶し離れようとす
るなら、神様から遠ざかるだけなのです。
ぜひ、闇から脱出するために、光の神に近づ
きましょう。自分の汚い部分を見つけ出し洗
う人は幸いです。まずはキリスト教会へ集う
ことからです。御言葉を聞く耳を持つことです。
そして神を信じていると言うあなたも日々、
神をそばに感じてください。そうすればあな
たはこの世の勝利者(誰にも支配されず不安
な要素を取り除かれる)になれるのです。
ヤコブの手紙4:10
主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、
主があなたがたを高くしてくださいます。
神様があなたを神の子として輝やかせて下さ
るのです。