礼拝2014年4月20日(2)

2014年4月20日のメッセージ
「クリスチャンとは」
教会に行く前、クリスチャンと言うイメージは、
非常に特別な人で倫理道徳の極めた人で俗世間か
ら足を洗った人だと言うイメージがあり、私のよ
うな自分のことしか考えない泥臭い人間なんてク
リスチャンにけして成れるものでは無いと勝手に
思い込んでいました。
実はクリスチャンと言う呼び方は、キリストを信じ
る人は、変わっているので信じない人たちが皮肉
でつけた呼び方です。
ですので、自分がクリスチャンですと言う言い
方はあまり好きではありません。
特に、私をよく知っている幼馴染はそのイメージ
は、まったく持たないでしょうね。(笑い)
しかし、神様が本当に居られる(宗教なら要らない)
というなら知りたいと思う心はありました。
クリスチャンと言う呼び方は、特別な人間のように
感じますが、何の事はないイエス・キリストを信じ
神の愛を受け入れた人のことを言います。
そして、自分が弱い汚い罪びとであることを自覚
した者であると言えます。ですから、後光をさして
悟りを開いた仏みたいな人間とか、良い事ができる
素晴らしい愛の深い人だからでなるものでは無いの
です。
その間逆で、罪深い自分であると知ったときにクリ
スチャンになれるのです。なぜなら自分が罪びとと
気づかない限りイエス様のところへ行く必要性が無
いからです。自分が正しいとする人はイエス様を必
要としません。しかし聖書はそれを罪と言うのです。
罪とは被造物の人間が創造主の神を無視して自分を
正しいとすることです。
私が教会に行きだした時、確かに親切で優しい方が
たくさんおられました。しかしそうでない人もいま
したので、がっかりもしました。牧師にこう教えら
れました。教会は罪びとが集まるところです。互い
に裁かないようにしましょう。みんな神様に赦され
た罪人ですから、誰も裁く事はできません。神様が
赦されたので互いに赦し合いましょう。
ですのでクリスチャンは偉くもなんとも無いのです。
人から尊敬されるような存在ではないのです。
私は、植木の仕事をしていますので殺虫剤を撒いて
消毒もしますが、頼まれたお客さんの前でまだ生き
ている毛虫を発見するとすぐにはさみで潰して殺し
ます。そうするとお客さんは「東さんは、クリスチ
ャンなのに~」と言われたことがあります。消毒を
頼んだお客さんにそんな事を言われても困ってしま
いますが、そのようなイメージを持たれるんですね。
クリスチャンは普通の人間です。ゼロからプラスに
向上した人間ではなく、マイナスからゼロに戻され
た人間なのです。アダムとエバの始めの罪の無い元
の存在に戻ったと言う事なのです。そして神の愛と
言葉によって神の子になるべくプラスに成長してい
くのです。
愛されていることを知り、愛することの必要性を神
から学び、失敗しながら訓練され成長し神の子にな
るのです。
私も牧師でありながらも、一神の子として日々訓練中
なのです。
そして、私たちは何処から来て、何ゆえに生きて、
何処へ行こうとしているのか知っている人間です。
簡単に言えば、「本当の神様を知った人間」
それがクリスチャンです。
ByTatsuo