礼拝2014年5月4日

2014年5月4日
「真理が私を自由にする」
そして、あなたがたは真理を知り、
真理はあなたがたを自由にします。
ヨハネによる福音書8:32
私が教会に行き始めたころは、毎日曜日に教会に行かなけ
ればならない事に抵抗があり、休日の自由が奪われて縛ら
れるのが正直いやでした。しかし、本当に神がおられるの
なら、地獄へなんか行きたくないし、そんなこと言ってお
られないとも考えました。それは不安な日々でしたが、信
じて決心したときには心は一気に平安になり自由になりま
した。日曜日に教会へ行くのが楽しくなったのです。本当
の神様をもっともっと知りたいと思ったのです。それは教
会に集わされているのでは無くて、自分から行きたくなっ
たのです。周りの人は教会に行く私を理解できないでしょ
う。教会に行く価値を知らないのですから仕方が無いので
す。私も以前はそうでした。でも教会に宝が眠っていると
分かれば誰でも探しに行きたくなります。やらされている
のでは無くて好きでやっているのです。それが自由です。
そして、自由と言う事は、開放されると言う意味でありま
すが、好き勝手に行動するとか、誰にも縛られないと言う
自由は本当の自由ではありません。好きに生きる事は逆に
孤独になります。孤独は不安であり、誰かに愛されること
を求めます。私たちはこの世のいろんな物に頼っていきま
すが、正しい愛により頼まなければ歪んだ関係を強いられ
てしまう事が多いです。それは本当の自由ではありません。
また、みんなが好き勝手に行動すると、秩序が保てなくな
ります。野球を楽しくするためにはそこにはルールを守る
必要があります。また、安心してドライブするためには道
路交通法をすべての人が守らないと、不安で爽快に走る事
はできません。本当の自由は「平安である」と言う心の在
り方のことです。別の言い方で「幸福感の中にある」とい
う言い方でも良いと思います。
自由とは、好き放題に何をしても良いという事ではないの
です。皆がルールを守ることが前提条件にあります。法律
があり、違反すれば罰則があると言う事で、ルールを守る
事はお互いの安心感を与えるのです。法律というのは平和
を維持するためのルールなのです。
真理とは「絶対に変わらない本当の事」と言う意味です。
真理と言うと、社会を震撼させたあのカルト集団が使って
ましたが、とんでもない事です。
キリスト教は宗教でなく、事実に基づく神との契約です。
そこでイエス様はヨハネの福音書14:6で
「私は道であり、真理であり、命である。誰でも私によら
ないでは父のみもとに行くことは出来ない」
と断言されました。真理に従えば命があるというのですが、
真理とはイエス様自身でありのその御言葉になります。そ
れが、神様の新しい法律です。その戒めは「神を愛し、互
いに愛し合うことである」と言うルールです。非常に抽象
的な戒めですがこれがあらゆる法律の元となります。
人間は相手が愛してくれていると知ったなら、その関係は
平安です。しかし、愛していないと疑うなら、平安はあり
ません。しかし、みんながイエス様の御言葉を守ろうとす
るなら、平安が生まれるのです。ですので、真理(イエス
様の御言葉)に従えば平安を得ると言うことになるのです。
まずは、イエスキリストを通して神の愛を受け止める必要
があります。これが真理を知る事になります。
始めは教会に行くきっかけは「地獄があるなら行きたくな
い」このような恐怖心から神を求めるようになりました。モ
ーセも最初は神を恐れたのです。しかし、聖書を学んでい
くうちに神が私たちを愛しておられると事を知り、聖霊様
によってその思いが伝わってくるのです。そうすれば、神
に対しては怖さは無くなり、愛されていることを知り、恐
怖心から開放されるのです。全能の無敵の神が私たちの味
方であるなら、誰が私を滅ばす事が出来るでしょうか。
聖書の御言葉はこう言ってます。
もし、神がわたしたちの味方であるなら、
だれがわたしたちに敵し得ようか。
ご自身の御子をさえ惜しまないで、
わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことが
あろうか。だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。
神は彼らを義とされるのである。
だれが、わたしたちを罪に定めるのか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、
神の右に座し、また、わたしたちのために
とりなして下さるのである。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。
患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、
ほふられる羊のように見られている」
と書いてあるとおりである。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、
わたしたちは、これらすべての事において
勝ち得て余りがある。
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、
現在のものも将来のものも、力あるものも、
高いものも深いものも、その他どんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、
わたしたちを引き離すことはできないのである。
ローマ人への手紙8:31~39
全治全能の創造者としての神が私たちの見方であり、
命を賭けて愛してくださる私たちの「お父さん」です。
全知全能のお父さんに従うことで命が保証されると言うのなら
私たちが何かに恐れて不安になる事があるでしょうか?
私たちはこの真理(真の神)に従うなら互いに愛する事
の大切さを知り本当の平安が支配し本当の自由を得るの
です。
父が赦されたとそうして愛してくれていると言うなら、誰もあな
たを罪に定めることは出来ないのです。それが本当の自由
であり、平安であると言うことです。
どうぞ、真理(イエスキリスト)によって神を知り真の自由を獲得
してください。そうすればあなたはこの世でまったく怯え
て、恐れて生きる必要がなくなります。
この世の中で自由となり、勝利者となれるからです。
それが、神の愛を知った者の素晴らしい人生の力となります!