礼拝2014年5月18日

2014年5月18日
「信仰とは」

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信
し、まだ見ていない事実を確認することで
ある。
へブル人への手紙11:1

先日、教会員の皆さんに質問してみました。
あなたの「信仰」って何ですか?
いきなりは切羽詰るようです。皆さんはいか
がでしょうか?まだ信仰を知らない人に信仰
って何ですか?と聞かれたときに答えること
が出来るでしょうか?信仰を確実に持ってお
られる方は必ず答えることが出来ます。
信仰を説明できる人はその信仰を持っておら
れる方で、答えの詰まる人は信仰を持ってい
ないのです。少々厳しいですがこれは非常に
大切なことなのです。なぜなら信仰が無いと
救われないからです。そして信仰があるかど
うか自分で確認出来なければならないと思い
ます。
とりあえず、どんな答えでも良いから答えら
れる人になってほしいと牧師としては願うわ
けです。
もっとも、信仰とは聖霊の賜物の一つで、神
様からのプレゼントです。ですので、人間の
私たちの内から発生するものでは無いのです。
これが理解できると言う事は確実に聖霊様の
力を受けていると言うことになります。
人間の信念(自分で神を信じようとする心)→
信仰(神様から送られる信じる力)→確信(確認
出来た心)という流れになり、まず信念からです
もっと簡単に言うと、求めるなら神の霊によって
神の愛を私たちの心に注がれて、神の思いを
感じる事が出来るようになります。
そして、希望は失望に終ることはない。なぜ
なら、わたしたちに賜わっている聖霊によっ
て、神の愛がわたしたちの心に注がれている
からである。
ローマ人への手紙 5:5
では、もう少し詳しく説明しますと・・
「神との信頼関係」だとお伝えします。
その関係を3っつお伝えします。
①神は私たちの創造者かつ絶対者かつ命の主
権者です。私たちは被造物であると言う存
在で創造者無しでは存在しない絶対関係で
す。
②神は私たちの父であり、私たちを子として
愛しておられる親子関係である。
③神は私たちへの約束は必ず守られる方であ
り、私たちに語られた言葉(聖書)に責任
を持たれて実行されるイエスキリストを通
しての契約関係です。
この3つの関係で、神と自分の関係を理解し
アイデンテティーの確立を(自分の存在を確
立)することなのです。
私達人間は神の意思によって創造されました。
ゆえに神を無視して生きる事の出来る存在で
は無く神に従うように造られたのです。
さらに神は私たちを奴隷やロボットの様に造
らず神に愛される子として、神の法(互いに
愛する)によって生きること。神が私たちに
与えようとする無尽蔵の富の約束を希望とし
て、自分の置かれた立場をわきまえることが
信仰だと考えるのです。
人間は、神を無視して自分の考えで生きよう
とする事で罪が入りました。最初の人アダム
は自己中心に生きようとして神の言葉を無視
し罪を犯しました。私たちの罪の根本は自己
中心なのです。そして、アダムの子カインは
人類始めての殺人を犯します。弟アベルを殺
したのです。これは「嫉妬」のゆえの憎しみ
なのです。それも自己中心性から来るもので
す。それを神中心にすることが信仰になりま
す。
神の法は、
「神を愛し、互いに愛し合いなさい」です。
この法を守りたいと思う心がこの罪の原因で
ある自己中心性を砕く事になります。その神
の法に喜んで従うことが信仰の結果なのです。
創造主なる神の愛があまりに素晴らしいので
喜んで神様に従おうとする事が正しい信仰で
あり、地獄で命が落とされるから恐怖のゆえ
に従うのではありません。
神はけして私を悪いようにされない。私を愛
してくださっていると信頼しどんなにつらい
事があっても最期にはすべて益にしてくださ
るのだと信頼することなのです。
友達を信頼するとはどんな感じでしょう?そ
の友達が影で自分の悪口を言っている事が分
かったらどうでしょう?そんな友達を信じれ
ませんよね。私は逆に影で言わず面と向かっ
て言ってくれるほうが友として信頼できます。
(誤解を招いていることが多いからです。)
影で他人に友の悪口を言う友は信頼できない
です。しかし神は私たちのことを誰かに悪口
言う方ではありません。私たちに自分の愛を
知ってもらいたいと願っておらる方なのです。
旧約聖書に出てくるヨブの信仰をお手本にす
れば理解できるでしょう。最期には神はヨブ
に無条件の信仰を教えるのです。自分の功績
ではなく神の一方的な愛を受ける事が大きな
恵みと悟らされるのです。
神は、私たちに愛を示されました。どんな愛
でしょうか?命を掛けた愛です。私たちの代
わりに神の御子イエスキリストが命を落とし
てくださった。その命と引き換えに私達の自
己中心性の罪を赦されたのです。そこまでし
て私たちへの愛をこの世で示されたのです。
神の一方的な愛ですが、自分の弱さを知ると
きに、この愛を心から受け入れることが出来
るのです。それが神様の計画です。自己中心
によるおごり高ぶりが神の愛を理解できずそ
の人の滅びを招くことになります。
その神の愛を受け取ることが、イエスキリス
トを信じる信仰と言うことになります。
世界中の人々が神の愛を知れますように心か
ら祈願いたします。