礼拝2014年6月14日

2014年6月14日
聖書は誤り無い事実。
聖書は、造り主イエスキリストを通しての
世界中の人々への神様の救いの約束です。
信じない人は死んだ後その霊魂は地獄(火の
硫黄の燃える池)へ行きます。
しかし、イエスキリストの十字架を通して神
の愛を受け入れる人は神の国に入れられ、神
の子となり、永遠の命が保証されます。
信じる人は幸いです。信じない人は不幸です。
「神様が愛なら何故信じる人だけで、信じな
い人を地獄に落とすの?」 「そんなの神様、
勝ってすぎる!そんな神様なら信じない!」
と実は私も最初はそう言ったのです。そう言
いたい気持ちは良く分かります。
ですが、人は神によって造られました。
私達人間は、人を造った神に反論する身分で
は無いのです。
たとえば、人が造ったロボットが人の言う事を
聞かずに勝手な事をし、人に文句を言いだした
ら、そのロボットはどうなるのでしょう。処分
されるか、修復されて当然なのです。
ましてや、人間はロボットで無くそれぞれに自
由意志が与えられています。神を否定するのも、
肯定するのも自由なのです。神様はイエスキリ
ストを通して人に愛を示されました。その愛を
通して神様を信じ帰って来る事を忍耐して待っ
ておられるのです。
否定するのも自由ですが、その結末は地獄と言
う処分になります。誤りの無い聖書にそのよう
に書いております。
地獄と言う「処分」は、神様の本意ではありま
せん。 神様は修復を望んでおられます。
地獄と言う処分になるのは人間が選んだ結果な
のです。最初に造られた人間アダムが、エデン
の園で違反し創造主を信頼せずに自分の考えで
勝手に生きる故、罪が生じたのです。この「罪」
と約されたギリシャ語の言語は「的外れ」と言
う意味があります。神によって造られた人間が、
絶対創造者である神を無視して、 生きる事は
「的外れ」=「罪」であるのです。
この「的外れ」はもう一つの言い方で「誤解」
と言う言い方が適当かも知れません。神様はそ
の「誤解」を修復されるために、 御子イエス
キリストの十字架の業を通して、 神がいかに
人を愛しておられるかを現してくださったので
す。「友のために命を捨てる事これ以上大きな
愛は無い」とイエスキリストは言われました。
2000年前、聖書の預言どおりそれを現実に表わ
されたのです。この神様が自ら命を架けて誤解
を解く行為。これが神の救いなのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになっ
  たほどに、世を愛された。
 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅
  びることなく、  永遠のいのちを持つため
  である。神が御子を世に遣わされたのは、
世をさばくためではなく、御子によって世
が救われるためである。御子を信じる者は
さばかれない。」
      ヨハネによる福音書3:16 ~19
そこで、友人や、親族、愛する人が地獄に落と
される事を知りながら黙って居られないのが私
の本当の心なのです。
分かれ道があって、皆が地獄の方に向かって歩
いていたと知るならあなたはどうしますか?な
んとしてもそっちに行ってはダメだと言うのは
ありませんでしょうか?それが普通ですよね。
愛する友に、親に、子供に、嫌な事言われよう
が馬鹿にされようが必死に伝えるのが私の十字
架になります。
イエス様も十字架に架かる時、全ての人がイエス様
から離れ去りました。しかし、その2000年後、
世界3分の一20億の人がイエス様を信じたのです。
日本人はいまだその事実を知りません。何とか
お伝えしたいと思っています。
幸いにも、私は皆さんより先に主イエス様とお
会いしました。
これを伝えると宗教勧誘だと思われて嫌がられ
て嫌われるかも知れません。嫌われても伝える
のは、その人を本当に愛しているからなのです。
私の損得勘定はまったくありません。教会の信
徒を増やしたいから伝えているのではありませ
ん。他の教会でも行ってくれても良いからただ
ただ地獄に行って欲しくない。救われて欲しい
のです。
宗教団体に入るとか、教会員になるとかでは救
われません。救いは得心すればその場で救われ
ます。
聖書の話が本当だと知れば私の言ってる事がい
つか必ず分かる日が来ると思います。みんなが
天国に行ける様に心から願っております。