「赦すと言う事は  自分の幸せの為である。」

「赦すと言う事は
 自分の幸せの為である。」
日本語で「ゆるし」
いう言葉には、
「許し」と「赦し」の2つ
があります。
これらは似ているようで全然違います。
この違いは、恨みや怒り、罪悪感などを
抱える人が癒されるためにとても重要な
意味を持ちます。
許せなくても赦すことはできる
「許し」とは、「やっていいよ」という
許可を与えるという意味です。
すでにやってしまったことの場合は、
事後承諾を与えるという意味になります。
これらは英語で言えば、permissionです。
「赦し」とは、怒りや恨み、あるいは、
相手を罰したいという感情を手放すこと
です。
これは英語では、forgivenessになります。
この違いが大きな問題になるのは、
大きなスケールでは、戦争や歴史的犯罪
などの被害に対する態度があげられます。
個人的な問題では、犯罪被害、虐待、
ネグレクトなどによるトラウマにどう
向き合うかという時に問題になります。
なぜなら、「許し」とは事後承諾を
与えることで、やったことをよしとする
という意味になるからです。
これらの「許し」はあり得ないのです。
「赦し」は、相手を憎んだり、恨んだり、
怒りの感情を持ち続けたりして、
相手に罰を与えたり、復讐したり、
償いを求めたりする行動や気持ちの持ち方
を放棄するという意味になります。
後者の場合、相手がしたことをよしと
して認めるわけではありません。
むしろ、戦争や犯罪、虐待などそれ自体は
決して許してはならないものです。
ただその特定の相手を赦すことで、
新しい関係を作ることはできます。
「人を恨むことは自身を不幸にする。」
大人になっても、生い立ち過程で親に
されたことやしてもらえなかったことに
関して恨みを持ち続けている人は珍しく
ありません。
けれども、それは現在進行形で自分を
「親の被害者」と位置づけ続けること
になります。
「自分が不幸なのは親のせい」と考え
償いを期待し続けることなのです。
それは自分を幸せになし得ません。
自分の人生は、自分次第、自分の自由
であるとともに自分の責任」という考え方
を持たないとダメです。
責任転嫁をしても幸せにはなれない。
被害者意識を持ち続けて人を恨むことは、
心を苦い根で満たし、悪い心で支配され
出てくる言葉も不平不満、ネガティブな言葉
しか出てこず、希望の言葉や
良い言葉は出てきません。心の在り方で
言葉と行動に変わっていくのです。
また、親が自分にしたこと、してくれ
なかったことによる「被害状況」を証拠
として保全する、つまり不幸であり続ける
ことで親に復讐しようとします。
相手が親に限らず人を恨み続けることは、
結局自分を不幸にするのです。
だから、相手を「赦す」のは相手のため
ではなく自分自身の幸せのために必要なのです。
聖書はこのように勧めます。
★マタイによる福音書 6:14
  「もし人の罪を赦すなら、
   あなたがたの天の父もあなたがたを
   赦してくださいます。
   15 しかし、人を赦さないなら、
   あなたがたの父もあなたがたの罪を
   お赦しになりません。」
★へブル人への手紙12:14~15
 「すべての人との平和を追い求め、
 また、聖められることを追い求めなさい。
 聖くなければ、
 だれも主を見ることができません。
 その為にはあなたがたは注意して、
 だれも神の恵みから落ちる者がないように、
 また、苦い根が芽を出して悩ましたり、
 これによって多くの人が汚されたり
 することのないように、」