礼拝とは 受ける事ではなく、 捧げる事です。

礼拝とは
受ける事ではなく、
捧げる事です。
献金とかでは無くて
あなたが礼拝を捧げる心です。
聖書の講話を聞きに行く。
讃美で恵みを受ける。
でもありません。
礼拝を守る。
と言う言い方もちょっと
違うと思います。
礼拝は自分を低くし、
神様の御顔を仰ぎ見る行為。
アブラハムが石を立てて空の下で
神の御名を呼び求めた姿です。
神の言葉に耳を傾ける。
神の語ってくださる言葉を待つ。
それは聞くではなく、聴くなのです。
「聴く」とは
「理解しようと進んで耳を傾ける」
礼拝で牧師が語る言葉の中に
神の言葉が与えられる期待を
持って傾聴する事が大切です。
必ず、必要な御言葉が
与えられるでしょう。
たとえ御言葉が無かったとしても
心で真実を持って神様の御顔を求め
礼拝を捧げたらあなたは義なのです。
神はそのような礼拝者を
求めておられます。
心から讃美するを成功させる人
礼拝を捧げようとする人は幸いです。
それはどのような派の教会であっても、
対象が三位一体の神ならば、
何処ででも祝福されます。
この教会は御言葉が詰まらないとか、
あの教会は讃美が恵まれないとか、
あの教会の牧師は力が無いとか、
全く関係ないです。
要するにあなたの心の在り方です。
何処の教会であっても礼拝を成功させる
人に成れば必ず神様は祝福されます。