牧師徒然

牧師徒然
ヨハネ伝4章の
サマリアの女性は
自分の罪を悔い改めて
救われたのでしょうか?
私が思うにこの女性は間違いなく
信仰により救いを得たのです。
もちろんその救いの確信は
十字架の後です。
真の礼拝とは
何処の場所ではなく、
キリストを知る事です。
この女性はキリストを
面と向かって知る事が
出来ました。
そしてこの後
サマリヤの多くの人が
この女性の証言によって
キリストと出会いが明らかに
されるのです。
もしこの女性がふしだらな女性
と言うなら誰も彼女の言う事は
聞かなかったでしょう。
私も今は聖霊によって
イエス様と出会い
わたしを愛されている事を
確信いたしました。
しかし、イエス様は
一度もサマリヤの女性に
「自分の罪を悔い改めよ」
とは言って無いのです。
多くの人はあのサマリヤの女性を
5人の男と不倫しまくった
罪深いふしだらな女性だと
思い込んでいる方が居られますが、
聖書はそのように書いてません。
もしかしたら、
子供が産めないので
5人の夫に捨てられた
可哀そうな女性かもです。
でも大切な事はこの女性は
信仰があったと言う事実が分かります。
イエス様にどこで礼拝する事が
良いのか場所を質問します。
そしてメシア(キリスト)が来て
全てを明らかにしてくださると言う
神を求めて神の約束を待っている
信仰が彼女にはあったのです。
その女性に
「私がそれである」
この答えにはびっくりしたでしょうね。
私が思うには、イエス様は
偶然でなく自らこの女性に会いに
来られたと思っています。
イエス様は弟子にもはっきりと
言って無かった段階で
弟子でないこのサマリヤ女性に
私がメシヤ(キリスト)であると
宣言します。これはすごい事です。
サマリヤの女性は主が来られるのを
待ち望んだ信仰ある女性です。
イエス様はそれを知って
その女性に会いに行かれたのです。
そして聖霊が与えられる約束を
聖い水としてはっきりと
伝えられます。
この女性がエゼキエル
36:24~の御言葉を聴いて
待ち望んでいたことを
イエス様が知っていたのだと
思わされます。だから、
「私が誰だか分っていたなら
あなたの方から水をください
と言うでしょう」とこの女性に
はっきりと言うのです。
水はヨハネの福音書では
聖霊を指します。
この女性は幸いな女性です。
直接イエス様の方から会いに
来てくださったのですから
すごい事です。
私達も真に神様を求めるなら
必ず主は出会ってくださる方だと
私は信じております。
ですので、
私のする事は
神であり、
救い主である
イエス様を
求める事ができるように
多くのまだ知らない
人達に伝える事だと
思っております。
私は信じさせる事はできません。
事実を知った者として
お伝えするだけです。
次に求めるか求めないかは
その人の問題だと
思っております。
求める事ができるように
お伝えしたいと思っております。

牧師徒然

Posted by kerneltender