礼拝出席者とは神を求める人です

神は霊であるから、
礼拝する者も、
霊と真実を持って
礼拝を捧げるべきです。
   ヨハネ4:24
コロナ禍、教会での集会が
出来ない所があり、
インターネットで
配信礼拝が当たり前に
なってきました。
果たして一人お茶の間で
礼拝を捧げる事が
出来るだろうか?
蚊帳の外のような
気がするのは
私だけでしょうか?
2人3人私の名に
よって集うところに
私もそこに居ると
イエス様は言われました。
集まるところに
イエス様は御霊として
共に居てくださいます。
今のコロナ禍の中で集会が
難しいかも知れません。
でも神はそれも
ご存じだと信じます。
ご自宅で一人で真実を
持って神様の前に出る
心構えのけじめが
つけられるなら
良いでしょうけれども
実際は難しく思えるのです。
礼拝は聖書の解説を
聴くための講義では
ありません。
セミナーや勉強
でもありません。
説教が無くても礼拝は
讃美と祈りと奉献があれば何処であっても
成立します。
イエス様はこの
ヨハネの4:23でサマリヤの女性に
イエス様とご対面されている
今のこの時が礼拝なのだと
言われました。
父なる神に礼拝するとは
主イエス様と
ご対面する事だと思います。
神を待望する信仰があった
サマリヤの女性に
イエス様はわざわざ
会いに出向いてくださった
のだと私は受け止めます。
神を求める者には
必ず出会ってくださる。
神様はそういう方です。
捜し求める者には
必ず答えてくださる方です。
逆に求めない人は
出会う事が無いとも言えます。
求める事が礼拝だと認識
してくださるなら礼拝の
その場所に出向く事
を大切にしたいとおもいます。
日曜日、
教会に集って礼拝を捧げる。
真実を持って神を求め
祈りと讃美とを捧げる心が
大切だと感じております。
このサマリアの女性は
キリストがこの地に来られて
一切の事を教えてくださると信じ
神の声を待ち望む心を持っていた
真の礼拝者だと言えます。
牧師のメッセージから
神の声を待ち望み
求め、素直に聴く準備する
心構えが大切だと思います。
礼拝出席者とは神を求める人です。
今、コロナ禍の中で
霊と真実を持って
讃美と祈りが
捧げられているでしょうか?
※写真の十字架はある牧師先生に
依頼されて制作しました。私のオリジナルです。
この上から更に塗装するつもりです。