聖書の書かれた目的

牧師徒然
聖書の書かれた目的を
お話しましょう。
私達の存在は何故か?
創造主が存在し
創造主の目的があって
造られたのだからです
ですので、創造主の目的に
沿って生きる事が人間の
当然の本分です。
その創造主が人間になる前の
御子イエス様です。
キャシャーンをご存じですか?
人間が人間の為に作ったロボットが
人間を支配する。ありえないですね。
これを聖書的には「罪」と言います。
「罪」を別の言い方をすれば「的外れ」と
言う意味です。
私達が神の目的に沿って生きない事は
自分勝手に生きる事を「罪」と言い
的外れに生きているのです。
聖書は明らかに言います。
簡単に言えば創造主イエス様を
信じない事が罪なのです。
神の御子イエス様は
今から約2000年前に人となって
この世に肉体を持って降りて来られ、
私達に神の真実と愛と恵みを
十字架上で現わされました。
そのイエス様を信じて神様の許に
帰る人は義(正しい)としてくださいます。
その人は神の救いを得て
神の国に入る事が出来ます。
この世であっても
神の愛で恵まれ新しく
作り変えられます。
そして死後の神の国をも
約束してくださいます。
この死後の命の約束は
イエスキリストだけです。
日本の宗教には救いの約束が
全くありません。人間が作った
宗教だからです。
救いの約束は
イエスキリストだけにあります。
人が神の愛を受けて
神の御許に帰り
神を愛し、互いに愛し合い、
赦し合い、一つになって
平和な神の国を目指すなら
神の義を得る事が出来るのです。
神があなたはただしいと
あなたを神の息子として
抱きしめてくださいます。
此処に人を作った
神の目的があります。
あなたもお近くのキリスト教会で
神の愛を求めてお出かけください。
神を求める人には必ず
神と出会います。
私がそうでしたから・・・・
人として生まれたからには
創造主である神を求める事を
お薦めします。
「神のはそのひとり子イエスを
 十字架に付けてしまう程に
 この世の人々を愛された。
 それは御子イエスを信じる人が
 一人も地獄で滅びる事なく
 永遠の命を得るためです。」
ヨハネ福音書3:16(東たつお訳)