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村八分__2/20

村八分
この言葉をご存じですか?自分たちの意に沿わないからと言って仲間外れ、のけ者にしようとするいじめですね。一緒に居ながらにして無視したり、相手にしてくれない事です。子供のころ私もそのようにされた経験がありますし、社会人になってもありました。されている人を露骨に見た事があります。
中学生のころいつも登下校をしている友人と仲良く毎朝待ち合わせをして学校に行ってました。ところが時々口を聞いてくれない事が時々ありました。何で機嫌が悪いのか?聞いてみても「別に~」と言って理由を言ってくれない。こちらから何を話かけても応えようとしないので悩んだことがあります。結局時間が経てば何もなかったように普通に戻ります。自分に何か悪いことが有れば言ってと言っても「別に~」と言って答えない。わけがわからない。嫌な空気になったことが多々ありました。何でそうなるのであろう?いつも疑問に思ってました。
会社でも社員が口を聞いてくれないという事がありました。仲の良かった同期生に聴くと「ある人がお前の事を気に入らない、お前の営業成績がよい事で天狗になっているから」だと聞きました。ある人とは会社の人間でなく外注で入っている業者の方でした。その人は面倒見が良くて社員を良く飲みに連れて行ってました。私も良く誘われていましたが酒飲めないし車で通勤していたのでいつも断ってました。私が偉そうに見えたんでしょうね。酒の席では私の悪口を言ってたようです。何も悪い事をした覚えは無いのですが、その人に個人的に直接会って私の至らない所を聴くために話をしましたら、次の日から全く態度が変わりました。
平和を作り出す事は自分を砕く事から始まるのだと学んだのです。まだ、イエス様を信じていない時にこういう経験がありましたが、良き経験になりました。多くの人は人間関係でストレスを溜めて逃げるしかなくなってしまいます。解決の糸口が見つからないんですね。相手が自分を気に入らないのは何故かを知って、それを受け入れて行く寛容さが自分を砕く事かと思います。イエス様を知ってからは聖書の言葉から更に大切な事は何かを知る事が出来ました。もっと早くにイエス様を知っていたらもっと強くなれたのにと今になって思います。人は皆、基本自己中心で自分の思い通りにならないと誰かの所為にします。誰かの所為にする事で自分を優位に立たせることを自分でします。それが村八分を相乗させるのだと感じます。そこには自分を守るだけで本当の平和は生まれません。本当の平和を求める方法は聖書の神の言葉だけなのだと悟りました。そこに必要なのは絶対的な神の愛です。何が有ろうと神は私を愛して止まないお方である。私を決して見放さない、無視しない、村八分にしないお方で居られる。そういう方が事実に居られるのだと知る事が出来た。人生において最も大切な事だと思いました。