聖書の言う「罪」とは

聖書の言う「罪」とは
多くの方が誤解しているのは
悪い事をしているから罪だと
いう認識です。日本国憲法に触れて
いなければ罪人では無いと言う
事なのですね。
ですが、聖書のいう罪は「的外れ」です。
人間を作った神を信じない状態が的外れの罪だと言う事です。
神が私達人間を創造された
という事を認めなければ罪の意識など
皆無になるのです。
聖書の言う「罪」を「義」と
認めてもらうには創造神である
主イエス様に信じ従う事で
罪で無くなります。
多くの人は自分のしたことで
神は裁かれると思いがちですが
神を信じる義しさとは、神との関係を
元に戻す事です。
要するに関係回復なのです。
創造者と被造物の関係を元に戻す。
神が私達を創ったのに
私達はその神を無視する事
それが聖書の言う「罪」です。
神との関係が正しくなれば
人間関係も良くなるように
変えられます。
「互いに愛し合う」事を心の中に
刻み込まれます。そうして「善」を
行うようになっていく義の実を
結ぶようになっていきます。
その方法はイエス様を信じ求めて
神の愛を知る事です。
聖霊によって神の愛を受け
神の思いを知る事が出来ます。
その生き方を選ぶ人が義とされ
永遠の命が保証され、
神の子として守られ、
神の国に入ります。
神主体の人生とする事
これが罪から義とされる事に
成ります。
イエス様を信じたから
罪が赦されるのでは無くて
(罪過の赦しはもう十字架で終わった)
イエス様を信じるとは神との
「罪=的外れのか関係」の状態から
「義=人間の本来有るべき関係」の状態に
戻す事です。
関係回復なのですね。
イエス様を信じたから自分のした罪を
赦されるという事では無くて、
罪の状態から義の状態に
変わるという事です。
人間のこの地上での尺度で罪を量ると
その思い込みで間違った信じ方を
してしまいます。
長年クリスチャンとして生きている人でも
この事が理解できていない人が
多いように感じます。それは、
イエス様を信じながらいつも罪責感に
襲われて喜びの無い人、救われる確信の
無いキリスト者を見受けます。
信じ方が間違っているのだと
思います。これは指導者の問題だとも
思います。