御子を信じる者はさばかれない

“御子を信じる者はさばかれない。
信じない者はすでにさばかれている。
神のひとり子の名を信じなかったからである。
そのさばきとは、光が世に来ているのに、
自分の行いが悪いために、
人々が光よりも闇を愛したことである。
悪を行う者はみな、光を憎み、
その行いが明るみに出されることを恐れて、
光の方に来ない。”
ヨハネの福音書 3章18~20節
御子を信じない者は既に裁かれている。
罪とはこの世の支配者である悪魔の許に
いる状態です。イエス様が十字架に架かっても
その人の心が神の許に帰依しなければ
悪魔の支配の中で罪の状態のままなので既に
裁かれている状態のままなのです。
十字架では罪過(アダムの罪過と
モーセの律法違反の罪過)の故だと言い、
これはロマ書4:25にあります。
その説明はロマ書5:15~20です。
全人類の罪過を帳消しにしてくださった。
それと、モーセの律法は無効になりました。
モーセの律法では誰も裁かれなくなりました。
これはロマ書7章で書いてます。
罪過(ルール違反)については裁かれなく
なったのです。これが神の恵みです。
しかし罪(的外れ)の状態は
イエス様を信じない事です。
そのままでは罪の状態は解決しておらず。
罪の状態で罪の中に在るままです。
十字架では罪過が赦された事であって
罪は蘇られたイエス様を信じないと
罪の状態のままなのです。
罪の支払う報酬は死ですので
既に裁かれている状態だという事です。
この世の支配者である
悪魔の死の効力(アダムの罪過)は
十字架で完全に打ち破られました。
しかし、罪はその人の信じる信仰、
すなわち
その人の神を求める意志なのです。
神の許に帰り、神との関係を
修復する事で義とされます。
それが信仰です。
神と関係回復しようとする
その人の意志が信仰なのです。
神はその信仰を要求されております。
すなわち光の方に来る人です。
放蕩息子が父親の許に帰る決心と
父の家に向かうその歩みです。
父は帰って来たあなたを
抱きしめてくださいます。
救いは十字架では無くて
その人の意志による信仰なのです

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