聖霊によって導かる者
ローマ人への手紙 8章 3節
“もし肉に従って生きるなら、
あなたがたは死ぬことになります。
しかし、もし御霊によって
からだの行いを殺すなら、
あなたがたは生きます。
神の御霊に導かれる人はみな、
神の子どもです。”
ローマ人への手紙 8章 13〜14節
聖霊に満たされていると言いながら
兄弟姉妹を愛そうとせずに、
批判し合い、裁き合い、
理解しようとせず、赦そうと努めない
人はどれだけ多いか?
平和な関係を造ろうとしないのです。
このグループの中でも
自分の投稿に意見されたら
すぐに怒りだして暴言を吐く
人がおられます。
それは聖霊の実だとは言えません。
肉の思いとは、自己優位性を
固執し相手よりも自分を
絶対化するしようとする人です。
それを傲慢と言います。
自分を自分で神とする偶像です。
自分を偶像崇拝しているのですね。
しかし御霊に導かれる人は
神の言葉に照らし合わせて
自分を吟味します。
そうして、自分の傲慢な肉の心に
ブレーキを掛けるのです。
そうして神の子と聖化されて行きます。
ただイエス様を信じるだけで、
じっとしていても聖化されません。
神の子として聖化されるには、
自分の傲慢さを自己中心さを
覚えて、聖霊の示す神の言葉に
よって生きようとする時に
変えられて行きます。
神の言葉に従おうとする人は幸いで、
肉の自分、自己中心との戦いが
忍耐になります。
そう言う人が、
ロマ書8:1のキリストイエスのある者は
罪に定められない人であると言えます。
救いの義認は信仰ですが、
その救われた信仰を継続させる事が
聖化と成ります。そうして
救いの達成という栄化になるわけです。
信じるだけで救われると言うのは、
全く違います。イエス様を信じるとは
イエス様と共に歩き従う人です。
自己実現の人生から
神の実現に生きる決心する人が
救いの達成に確信を持ちます。
互いに愛し合えない人は、
イエス様の愛を知らずに信じただけで、
イエス様の愛を聖霊によって
自心で受け取っていないと言えます。
それでは、イエス様の御言葉を全く
意識しないでしょう。
ザアカイが変えられたのは、
直接イエス様の赦しを宣言
されたのだと私は思います。
皆様も是非イエス様の心である
聖霊様を求めてみてください。
ルカ11章に書いてある通りです。
聖霊は勝手には下りません。
求める者には与えてくださいます。
私も必死に求めました。
「イエス様あなたが私を愛して
くださっている事をこの鈍感な私にも
分かるようにしてください!」
この祈りを毎日祈りました。