だからあなたがたは天の父が完全なように完全でありなさい。

神の御子であるイエス様は
言われました。
「だから、あなたがたは、
天の父が完全なように、
完全でありなさい。」
マタイによる福音書 5:48
「汝の敵を愛せよ」の
後に言われる言葉です。
神の「完全」とは何でしょうか?
ギリシャ語ではテリーオスと言いますが
完全無欠と言う言葉です。
古代ギリシャでは「夢を叶える」
「願いを叶える」と言う意味から
出来た言葉だそうです。
完全さとは神の願いや夢を叶える。
私がこの言葉を考察するには
それは「神様の目指す思いを持つ」
と言う事だと受け止めます。
別の言い方でイエス様は
ルカによる福音書6:36
「あなたがたの天の父が
あわれみ深いように、
あなたがたも、
あわれみ深くしなさい。」
と記してます。
「あなたの敵をも愛せよ」と
言われた後に言ってますので
同意の言葉だと受け止めて良いと
思います。
「父の完全」=「憐れむ心」=「父の夢の願い」
このように受け止められると
考えます。
イエス様の新しい戒め
それは「自分を愛するように、
あなたの隣人を愛せよ」
を全うさせる言葉に帰結するのでは
思わされます。
どのような悪人であったとしても
その悪人の弱さを受け止めてやる。
「敵を愛せよ」と言うのは、
そう言う事では無いかと思います。
人は皆自分の弱さを隠そうとして
間違った道に脱線してしまいます。
そこで父なる神の願いは人の弱さを
理解して赦してやろうとする
「憐れみ」を持つ事を求めておられる。
それは完全で平和な神の国を建て上げる
父なる神の目的や夢があり、
神の民が同じ心を持つ事が父の願いだと
思います。
主は、「先ず神の国と義を求めなさい」
これが憐れみを持って互いに愛し合い
赦し合う平和な国を夢見る事です。
主の祈りは「御国を来たらせたまえ」
と祈れと言われます。祈れと言うのは
「願いなさい」という事です。
「完全」=「夢を叶える」という事は
「憐れむ心」によって神の国にふさわしい
神の民となり神の子となるようにと
願っている事だと思います。
自分を主張して、相手を責め、裁き合い、
争い合い、噛み合っているなら神の国は
その人々にはふさわしくないのですね。
Ⅰヨハネの手紙 4:17
「 このことによって、
愛が私たちにおいても完全なものとなりました。
それは私たちが、さばきの日にも大胆さを
持つことができるためです。
なぜなら、私たちもこの世にあって
キリストと同じような者であるからです。
4:18 愛には恐れがありません。
全き愛は恐れを締め出します。
なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。
恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」
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※元薬師寺のホテイアオイの花です。
5年前に撮った写真です。