父の完全さとは
ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。マタイによる福音書5:48
このマタイ5章で読むと律法を完全に守る人と
謝った解釈する人が多いでしょうね。私も最初そのように読んでしまいました。
この完全とはギリシャ語でテレイオスです。
この意味はパーフェクトが主ですが、
「十分に齢を経た」とか「十分に大人に成長した」「熟練した」という意味あいを含みます。
昨今、アダルトチルドレンと言う言葉がありましたが、その真逆ですね。
ルカ伝の並行箇所ではこう書いてます。
あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。ルカ伝6:36
「父の完全さ」とは「憐れみ」なのですね。
「恵みに満ちた」と言う英語で表記されてます。
「赦し」ですね。十字架上でその恵みを現わされました。キリストの十字架は神の愛と恵みです。
アダムの違反とモーセの律法違反の有罪を身代わりに背負ってくださったのです。これが神の恵みです。
イエス様は律法学者パリサイ人達にイエス様はこう指摘します。捧げものや儀式はちゃんとしているが律法で一番重要な正義「公正な裁き」とあわれみと誠実「信頼、信仰、忠実」をおろそかにしていると言われます。マタイ23:23
父なる神は恵み深い方でありますが、私達人間には憐み深い人、公平な裁きと信頼できる人誠実な人を求めております。そうして、一方的に推測で手前勝手に裁く人はダメだという事です。
神は信仰を求めておられますが、信仰とは
神に対して信頼する人、誠実な人、忠実な人
を求めておられます。
そうして父が憐み深い方であるように
憐み深い人を求めておられます。