「主の祈り」の大切さ

「主の祈り」の大切さ
キリスト者がいつも唱える
主の祈りは、私達が何の為に、
何を目的に、生きる目的を
明確に願う祈りです。
主はそれを願えと言われるのです。
その中心は、
「御国を来たらせたまえ」
                                              
キリスト者の生きる目的は
神の国と義を求める事だと
イエス様はマタイ6章で教えられます。
御心が天であった事を
地にも成させる事が、神の御国をこの世に
見出す事なのです。
それを願いなさいと言う祈りが主の祈りです。
この真理を悟った時、教会の使命が明らかに
なっていくのです。
この世は知っての通り悪魔の支配下に
あります。死の力を告訴する力を失っても、
未だに悪魔のコントロールはあります。
それが罪への誘惑なのです。
エデンの園での誘惑がありましたが、
神に抗う悪魔の世界が闇のこの世で
この世の神が悪魔です。悪魔は神の上に
自分の御座を築こうとし、エデンの園で
決定的にその罪の故に天から
この世に落とされました。(イザヤ14)
この世は悪魔の君臨する闇の世です。
この世に於いても、私達人間が悪魔を退き、
神を信頼し従う事の正しさを知り、
この世に神の戒めと愛と恵みによって
平和を造り出し、一つとなって神の御国を
見出す事なのです。
神の御国とはイエス様が言うように
私達の間にある(ルカ17:21共同訳)と言われます。
これは私達人間の神の教えによる信頼関係です。
神の戒めである「互いに愛し合う」
その法の中で赦し合い、裁き合わず、
神の国の平和を求める関係づくりなのです。
                                  
それがエクレシアなる教会なのです。
教会は神の平和が無ければなりません。
噛みつき合ったり、争い合っているなら
互いに滅ぼされます。
                              
主の祈りを唱えておきながら
兄弟姉妹と争っているなら
それは真の信仰とは言えないとなります。
イエス様の戒めに従おうとしていないからです。
「主の祈り」を真剣に悟って、
教会に神の国を来たらせましょう!

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