罪から救われるためには
(この投稿をする意味があります。
十字架で救われると思っている人が
多いからです。)
エペソ人への手紙2:1 (口語訳)
さてあなたがたは、先には
自分の罪過と罪とによって
死んでいた者であって、
ニューキングジェイムズ訳では
【NKJV】Eph 2:1
And you He made alive,
who were dead in
trespasses and sins,
罪過の事をtrespasses原語でパラプトマ
罪の事をSinと記します。原語でハマルティア
この2つの言葉の意味は別の意味です。
この2つの要素で私達人類は滅びます。
罪過=トレスパスとは不法侵害とか、
法律を破るルール違反です。
律法違反の事です。
イエス様はこの罪過の故に十字架に
お架かりになりモーセの律法違反と
アダムのルール違反についてのみ
身代りとなり私達への罪過を帳消しに
されたのです。
しかし、罪=Sinまでも赦されておりません。
罪とは法律が無いのですが
間違ったことをしていると言う事です。
聖書の原語はハマルティアで
「的外れ」を意味します。
本来そうでなければならない状態を
間違った状態にしている事を
罪と言います。
本来、神によって造られた被造物である
人間は神に従って生きる事が正しいのです。
これから外れている事を罪だと言うのです。
しかし、エデンの園以来、
堕天使に従ってこの世の神の中に
神との正常な関係を持たない事で
罪の状態であるという事です。
イエスキリストは、罪の赦しの為に
十字架に掛かったのでなく「罪過ルール違反」
の故です。ローマ書4:25にパウロは
明らかに記してます。
パラプトマと言う律法違反の罪過と
アダムのルール違反の赦しの為に
十字架に掛かられたのです。
アダムの違反も食べてはいけない食べると死ぬと
いうルール違反も含みます。これも罪過です。
しかし罪は違います。堕天使に従った心の状態が
罪(ハマルティア)なのです。
キリストの十字架では、
ルール違反の罪過は帳消しに
されましたが、
罪の状態までは赦されておりません。
罪の状態を解消するためには、
その人が神との信頼関係を自ら回復させる事。
これが悔い改めです。
悔い改めとは「心の方向転換」なのです。
自分がした悪や過ちを反省する事でなく、
今まで神を知らずに、神無しで生きて来たと言う
間違った生き方を変更する事です。
罪の状態から、創造主であるイエス様との
信頼関係を回復させる事。それはイエス様に
従う事が正しいことなのだと決意する事なのです。
これが救いに至る悔い改めなのです。
イエスキリストのよって全ての罪が
赦されたと言うのは間違った認識です。
多くのクリスチャンが十字架で全ての
罪が赦されたと言う間違った認識が
あると思います。
パウロは明らかにキリストの十字架では
アダムのルール違反の罪過と
モーセの律法違反が問われなくなり
帳消しになっただけだと言う事です。
では、ハマルティアの罪を義として
いただくためにはどうすれば良いか?
信仰の継続です。
すなわち神との信頼関係を
回復させる事が罪の状態で無くなり
義とされ、救われます。
そうして、罪と言うのは状態を指しますので
罪の状態にならないように継続させなければ
なりません。一度告白したら救われると言う
事では無いという事が分かります。
この世に生きている間に
主と共に信頼関係を持ち続けて、
神の為に生きる生き方を選び、
イエス様に従ってイエス様と共に歩く
生き様が、救いに預かる人になります。