ローマ書8:3
キリストは罪のきよめの為に遣わし、
御自分の肉に置いて罪を処罰された。
「罪を処罰された。」
これは罪を赦されたと言う事
では無く、罪の支配力を失くされたと
理解するのが妥当でしょう。
キリストの十字架では全ての人の罪が
赦されたと言う事では無くて
律法違反とアダムの違反によって
裁かれる事が無くなったと言う事です。
律法にあっては誰も義とされず、
罪の状態のになるだけです。
悪魔はそれを誘発させます。
罪の力は死です。それをもたらすのは
悪魔です。その悪魔の支配から完全に
解放するためにキリストが死ぬことで
ルール違反の罪過の効力を完全に
失わせたのです。
マタイ5章で主は律法を完成するために
来られたと言います。これは十字架上で
律法やアダムのルールを制定された
主イエス御自身が、またイスラエルの民と
契約を結んだ主イエス様ご自身が死ぬことで
罪過の咎の効力を無効にされたと解きます。
その説明がパウロのローマ書7章冒頭の
説明です。(夫婦の姦淫の罪を例に)
ですのでキリストの死で
律法違反とアダムの違反の死の咎と言う
罪過(パラプトマ)を無効にされたのです。
(ロマ書4:25では十字架は罪過の為だと断言)
これにより悪魔の罠、すなわち私達を有罪にし、
地獄へ道連れにするための告訴ができないように
されたのです。
ですので、十字架は悪魔の力を打ち滅ぼしたと
言われるのです。(Ⅰヨハネ3:8)
悪魔が罪の支配に置くことが出来なくなった
と言う事です。
その十字架の故に、私達は神との和解を
する事ができるようになったのです。
しかし、私達は十字架で和解の道を
示されただけで全ての人は神の前には
罪(的外れハマルティア)の状態にあります。
この和解の道が復活され蘇られた
イエスキリスト、神の御子ご自身です。
この方と信頼関係を回復させる事が、
悔い改め(立ち返り)する事です。
そうして信頼関係を持つ事で義とされる。
信仰義認です。
罪(的外れハマルティア悪魔の支配)の状態から
義(創造主の支配)の状態へと認めてくださるのです。
聖書では、罪と義の捉え方は
私達の感覚では違います。
神と私達の関係上で、罪と義を現わします。
イエスキリストの十字架で罪が完全に
赦されたのではなく、
罪からの解放の道が用意されたのです。
私達が、その道であるイエスキリストと
信頼関係を持つ事で私達は神から義と
され罪からきよめられるのです。
十字架は私達の創造主である神の許に
戻る事が出きると言う道です。
十字架の業が神の恵みとして全人類に
現わされました。
罪過の咎は適応されないように
なりました。
しかし、イエス様を信じない状態では
罪状態のままです。
このままでは罪の代価は死ですので
滅びます。
主イエス様に対して信頼関係を持つ事で
的外れの罪状態で無くなり義とされ救われ、
永遠の命、神の御国の約束を得ます。
※この理論は聖書の整合性があると
チャットGPTでは承認されております。
イエスキリストの十字架の意味
