礼拝2013年5月26日

2013年6月02日 主日礼拝のメッセージ
「行うままにさせよ」                      
ヨハネによる福音書22:10~13
イエスはわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。 

よく、聖書を知らない人がこのような質問をしてこられます。「神様が居るのなら、なぜ悪い人がこの世にいて悪いことが起こるのですか?」私はいつもこう答えます。「神は敢えてそうしておられます。」 イエスは2000年前に戦争や民族紛争、飢饉、自然災害は世の終わりに頻繁に起こるのだと預言しています。事実、その通りに世の中は悪化するばかりです。
神様がおられるなら・・・と言う人の思いの中には、神はこんな方だと勝手な理想を描いているだけなのです。しかし、聖書をよく見ると神の思いと人の思いは違います。神はこの世(宇宙、万物)を創造した目的、お考え、計画があるのだと教えています。わざわざ死ぬという弱い肉体で人を造られたのも意味があるのです。 
少し話が飛びますが、アリスと言う音楽バンドが再結成し11枚目のニューアルバムを出されました。その中で「ボイジャー」と言う歌があります。この歌詞を聞いておりますとまさに聖書の事を知っているかのようです。「イブから始まりアダムの定め、そしてマリアから始まる。その意味、その理由はきっと解る日が来る。」というような歌詞があります。ボイジャーというのは長い道のりを旅する旅人と言う意味です。聖書は私たちの人生は旅人のようだと言ってます。最後にアベマリアの賛美歌が入っているのには驚きです。歌詞は谷村新司さんが作ったようですが、聖書を知らないと書けないと思います。旅人は肉体はこの世で行きますが死後何処に行くのか解るようになります。人の成功はやがて無くなるこの世には無く、私たちの求めるものは霊魂の行き着く神の国です。そこに成功があります。神はなぜ人をこのように作ったのか?と言う質問は愚問です。なぜなら神が全主権を握った創造主で我々はその神によって造られた被造物だからです。ある茶碗が、陶芸家に「なぜこのように私を作ったのか」と言うこっけいな話なのです。  
神は敢えてこの世に悪を容認しております。なぜなら、神に従う人の正しさを悪のはびこるこの世の中で明らかにすることが神の御心です。最後の審判で善悪は明らかにされます。堕落した天使たちを裁く為に敢えてそうされているのです。(このあたりの話は相当深い話になります)しかし、私たちにとっては本当の神の愛を知ることのできるこの世となります。神が命を懸けて私たち人類を愛している表現をイエスキリストを通して実行されました。「神が肉体を持った人となり、人の罪の身代わりになって死ぬ」これが可能になる世界を作られたのです。 神の愛の大きさは命を懸けて現されました。これは神の国では死のない存在ですので絶対表現できない事なのです。肉体が死ぬというこの世だからこそ、それが可能なのです。私たちを神の子として迎える為、神の愛を命を懸けて表された神の御子イエス。私たちの神はこんなに素晴らしいのです。ゆえに私は心から神を信じ愛したいと思います。
マラ キ書3:14~18
あなたがたは言った、『神に仕える事はつまらない。われわれがその命令を守り、かつ万軍の主の前に、悲しんで歩いたからといって、なんの益があるか。 今われわれは高ぶる者を、祝福された者と思う。悪を行う者は栄えるばかりでなく、神を試みても罰せられない』」。そのとき、主を恐れる者は互に語った。主は耳を傾けてこれを聞かれた。そして主を恐れる者、およびその名を心に留めている者のために、主の前に一つの覚え書がしるされた。 「万軍の主は言われる、彼らはわたしが手を下して事を行う日に、わたしの者となり、わたしの宝となる。また人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。その時あなたがたは、再び義人と悪人、神に仕える者と、仕えない者との区別を知るようになる。

 更にある人は言うかもしれません。「神が愛なら何故みんなを無条件で救わないのか?と・・・・。」そもそも人が神に注文し文句を言う事、これが罪なのです。そのような質問をする人は神の上に自分を置いているからなのです。これを罪と言います。罪の意味は的外れです。(例えば人が造ったロボットが、人を支配する事)無条件で救うと的外れの堕落した天使と同じ人が現れるからなのです。素晴らしい神の国の建設のため、命を懸けて愛を示され信頼できる王様がイエス様です。誰でもイエスキリストの神の愛を受け入れ信頼するだけで救われると言う道が用意されたのです。

あなたも神様を「お父さん」と呼ぶことができ、神の国でお父さんの宝とされるのです。