礼拝2013年6月30日

2013年6月30日 主日礼拝のメッセージ
「神が愛の源である」             
ヨハネ第1の手紙4:7~10
4:7 愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている.
4:8 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。
4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。  

神は、この世に愛の必要性を教えてくださいました。親の愛を受けて育つ子供は、愛豊かな人になります。同じように私達人間は神から生まれた神の子です。ですから父なる神の愛が必要なのです。親も人間ですから愛されることが必要な存在です。親も神に愛されて、その愛で子供を育て、隣人を愛するのです。人を愛する思いになるためには、まず、絶対的な父なる神様に愛されるという恵みが必要なのです。そこで、神の愛を見るためにはイエス・キリストの十字架を知る事です。神を知らずして本当の愛を知る事はできないのです。神の愛はイエスキリストの十字架で現されました。この意味は聖書を通して歴史を知らないと理解し難いかもしれませんが、神の愛は理屈では計り知れないものです。愛されていることは体験することだからです。

愛の源は神にあります。人間をお造りになった神は、神に愛される事によって、人を更に新しく造り変えて下さるのです。私も考え方が180度変わりました。神に愛されていることに気付いた時、私たち人間は愛し合うことが正しいと知ります。私達人間は皆、弱いです。愛されること無しには生きて行けないのです。どんなに強がっている人でも、いつかは自分の弱さを知ります。だからこそ、誰かに愛されていることが必要になります。またそれに気づかなければなりません。
人に愛を求めても、人は皆それぞれ自分のことで精一杯です。親でさえ子どもを犠牲にして自分の幸せを求めるご時世です。

しかし、絶対に裏切らない神の愛はとてつもなく大きいのです。その愛の源に近づきましょう。真実の神の愛があなたにもふれますように・・・・ きっとあなたは満たされます。 きっと生まれてきて良かったと喜びます。そうすれば、愛される事より、愛する事の必要を知ります。人は誰でも愛される事を望んでいます。それを満たす方が愛の源である神様だけなのです。愛は、まず相手を赦す事から始まります。赦すことは自分を潰す勇気です。自分を犠牲にして、相手にも平和をもたらせます。この赦しの力は神の愛から来るものなのです。それには、まず神の愛に触れる事が大切です。
聖霊により、神の愛があなたにも臨むのです。必ず神様に愛されていることを経験します。
神の愛を聖霊に求めていきましょう。