礼拝2013年12月1日

2013年12月1日メッセージ
「天の見返りを見よ」
人に見せるために
人前で善行をしないように気をつけなさい。
そうでないと、天におられるあなたがたの父から、
報いが受けられません。
マタイ6:1
■作家 曽野綾子さんの本「人間にとって成熟とは何か」
が良く売れております。カトリック信者でもある
曽野さんが、ある方の相談を聞かれたそうです。
ある方の近所に体の不自由なお年寄りがおられて、
買い物に行ってあげたり、支えになってあげたりといつも
気にかけて声をかけていたそうです。そのお年寄りの
同居の息子さんがおられたそうですが、それを見ても
挨拶もせず、お礼の一言も無く、いつも無愛想な
息子さんでした。 ある時、そのお年寄りが他界され
ました。お葬式に参列したその人は息子さんに挨拶し
ましたが、息子さんからは何の感謝の言葉も無く相変わらず
無愛想なままでした。この息子さんに腹が立って
どうしようも無く、この息子さんをどう思いますか?
と言う相談でした。
残念ですがこの方は損をしていると思います。
このお年寄りに善行をしたのは、お年寄りの事が心配で
思いやりを 持った故なのですから、それは素晴らしい事
なのです。決して動機は、息子さんに褒めてもらうために
したのでは無かったはずです。
勿論、息子さんから依頼されたわけでも無いのです。
それなのに、息子さんに見返りを要求しているなら全て
虚しいのです。結局、自分の善行の評価を求めること
になってしまっているのです。勿論、社会的には息子さん
の無礼を 見過ごすわけではありませんが大切なのは善行
を行っていながら、息子さんに腹を立てているこの方は
良心から外れていってしまっているのです。
■私自身も、昔、植木を手伝ってくれていた若い子に日頃の
感謝を込めて特別に美味しいみかんを送りました。しかし、
彼はいつまで経ってもみかんの事を何も言わないのです。
みかんの味の感想を聞きたかったのですが何も言わないので、
こちらから聞いてみました。そうしたら、彼はあまりみかんが
好きでは無かったのです。私が、彼に感謝をしたのに対して、
感想を言わないのでやきもきしていた事に恥ずかしくなりました。
■相手に喜んでもらおうとしたことが、
逆に思い煩いになることは愚な事です。
結局、良いことをした事で相手から良い評価を求めている。
自分の点数稼ぎを、知らず知らずの内に意識しているよう
なのです。人間関係を深めるために確かに贈り物は必要ですが、
見返りをその人に求めるのは本来の目的ではなく、
本当の良い心では無いという事です。
良いことを他人にする時、他人に知れること無くそっとする
ことは人からの見返りを求めてはいけないと言う事です。
右の手でした善行は左の手に見えないようにしなさいとあります。
自分自身の手ですら見えないようにしなさいと言ってます。
■良い行いをする時に人からでは無く神様からの報いが必ず
あると信じる信仰を持てば、決して人から何かを要求する
ことは無いのです。
誰からも報われなくても、神が報いてくださる事を信じる
事が信仰です。神の報いを信じることはご利益的なことではなく、
人からの誉れを得る事無く善行ができるに至る。と言うこと
なのです。 むしろイエス様は、「返礼の出来ない人に施しなさい」
と言っておられます。
また、イエス様は「朽ちず錆ない天に宝を蓄えなさい。」
と言われました。人は肉体の死後、天において見返りがあると
約束してくださっています。
人からでは無く、神の見返りを求めれば誰も見ていなくても
善行は楽しいものです。どんどん天国の家に宝が積まれます!
まずは、あなたも天国を保証してくださるイエス様の
約束を信じどうぞお受取りください。