小豆島カトリック教会を訪ねました

2018年6月6日 ·
小豆島カトリック教会を訪ねました。

高山右近さんの潜伏地であったお話を聞かせていただきました。戸形小学校の校長先生だった日向さん(左のお方です)にボランティアで1日右近様ゆかりの地であったろう場所にご案内くださいました。感謝です。私はカトリックであろうとプロテスタントであろうと信じる神様が同じなら、みんな同志で同じ父親の子である兄弟姉妹だと考えております。細かい教理で対立するのはすでに神の愛から外れていると感じます。

この写真とは関係無いのですが
上野九五先生のお証です。

雑感を、書き記します。

人の心は、傷つきやすく脆くて、壊れやすいものです。ですから、否定的なものや破壊的な力に出会うと、反射的に心を頑なにして、自分を守ろうとします。

もし、生まれ育った環境や置かれた状況が、否定的・破壊的だったら、人の心は、どうなってしまうのでしょうか?おそらく、壊れてしまうか、心を完全に閉ざして自分を守ろうとするでしょう。

アメリカのキャンパスで、一人のアメリカ人伝道者に出会いました。聖なる神の臨在を纏った稀有の牧師で、内側から愛が溢れていました。

愛などこの世にあるのかな…。そんな風に考えていた私には、衝撃でした。その人に興味が湧き、しばしば、時間と空間を共有しました。彼の子供達が、嫉妬するぐらい大切にされました。

咎めても責めても、人は変わりません。正そう直そうとすれば、反発します。人は、愛と恵みの中でしか、変わらないと思います。少しずつですが、私の心が柔らかくなっていきました。

口先や言葉だけの愛に、うんざりしていたので、実体のある愛に感激しました。人は、関係の中で傷つき歪み、そして、関係の中で癒され回復していきます。

まず、心が溶かされ、何重もの覆いが取り去られないと、神の言葉が心に入ってきません。たくさん傷ついて生きてきた人は、素直になれないし、愛を信じることが難しいのです。

神の愛…究極の愛であり至高の愛。知性・感情・意志で、この愛を知ったなら、必ず人生は変わります。聖書に、「心の貧しい者は、幸いだ。天の御国は、その人のものだ」と、書いてあります。

一般的に心は、豊かな方が…。言い換えますと、霊に飢え渇く人は、幸せです。神の愛に、飢え渇く人は、幸いな人です。天のお父様無しに、キリスト無しに、十字架無しに、1日足りとも、生きていけないからです。
人生に、大切なものはたくさんありません。最も大切なのは、神の愛を知る事です。そして、愛し愛される関係の中で、生きることです。私は、神の愛無くして生きていけません。キリストが、全ての全てですから。在主