自己承認欲求

八重桜を見ると
桜餅が食べたくなります。
花よりだんごです。
肉欲バリバリですよね。
肉の欲と言えば食欲、性欲
物質欲、金銭欲とかいろいろ
在りますが、
実はこれが一番厄介です。
それはプライドです。
そこから自己承認欲求が出ます。
このために嘘をついたり、
嫉妬したり、相手を攻撃したり、
自己正当化するための責任転嫁、
自分の優位性を保守する欲求です。
同じ仲間が幸せに喜んでいる姿を見て
素直に喜べないのはそれは妬みです。
自分の優位性が損なわれた事を
喜んでいる人の所為にしてしまうんですね。
また、他人から見下されたくないがゆえに
自分の弱さを隠して見栄を張る。
劣等感のある人ほど
見栄を張ります。
虚栄に生きるとはそう言う事です。
だからこそ神様の愛で満足を得る事が
必要なんです。神様はあなたが何かが
できるから愛してくださるのではなくて、
何もできなくても、ありのままのあなたを
高価で尊い存在として愛してくださいます。
私達はついつい認められようとして
無理をしてしまうのですね。
はったりでも自分を誇示してしまう
そういう欲求は人からも神からも
平安を得る関係を待てなくなるのです。
だからこそ、
イエス様はこういわれるのです。
自分を守ろうとする者は
それを失う。しかし、
誰かを愛するの為に生きる人は
自分も他者も生きるのです。
人の失敗はプライドを守るため。
自分を生かすためにはプライドは
何の役にも立たない。
素直になれない自分が居るなら
それはプライドの故です。
プライドを砕くとは
イエス様の言葉によって生きる事。
互いに愛し合う事です。
そうすれば、
イエス様の愛で満たされます。