何故、人は罪を犯してはいけないのか?

何故、人は罪を犯してはいけないのか?
私達人間の主体で考えると罪の本質を間違った解釈にしてしまいます。神が主体、主権、主旨、御心、計画があっての私達の存在なのです。神の御心によって造られた存在が私達人間です。「罪」とは原語からしても、神から見て「的外れ」の状態を言います。要するに神によって存在させられている私達がと神と共に同じ方向を向かずに、神と共に歩まず、神の御心(考え)に沿って生きようとしない人間が罪だという事です。姦淫を犯したから、盗んだから、人を殺したと言う悪事を働いたから罪ではなく、姦淫や盗み、殺人をする事で神の目指す平和な神の国を造ろうとしない状態が罪になるのだという事です。神の法律は人を罪に定める事が目的でなくて平和な神の国を造る為のルールです。その神の国の為に協力しない事で罪になるのです。その新しい法律が「互いに愛し合う」という事です。この新しい法律は平和な神の国を見出すための法律なのです。イエス様を信じていながら、神の国を目指し協力しないと言うなら、愛し合う事をしないと言うなら、悪魔と同じ存在に成ります。これが聖書の言う罪なのです。簡単に言えば自己実現に生きるのが罪で、神の実現に生きるのが義なのです。神の御心に沿った生き方をこの地上でも実践する人が神の国にふさわしい人だとされるのです。イエス様を信じていながら愛し合わず神の協力をしないならそんな人を神の国に入れるわけにはいかないのです。神に従わずに嘘をついて勝手な事をした天使は地に落とされ悪魔となったのは神に協力しなかったからです。主の祈りで「御心が天に成るごとく地にもなるように」=「神の国を来たらせてください」と言う意味が此処にあります。