カルバンの予定説は誤解だと見ます
「以下はAIでカルバンの予定説の回答です。
カルヴァンの予定説とは、神が事前に決定した通り、
魂の救済は人間の意志や行動とは無関係に、
神によって決められているという考えです。
言い換えると、誰が救済されるかは人間の努力とは
無関係に神が事前に選んでいるということです。」
これに2重予定説と言うのも含まれます。
それは救われる者も救われない者も
全ての人は生まれる前から決定されており、
人の救いは神が全て既に個人レベルで
決めておられているという事です。
それは自発的な人の自由意思による
選択の信仰では無いと言う神学です。
神が全てをコントロールして勝手に
なさっていると言う考え方になります。
この考え方からすると福音伝道も虚しく
聖化される努力も虚しく、教会に集う事も
讃美や祈る事も虚しく、人を愛しても
何の報いも評価もされない。
最後の審判も必要無いではないか?
究極的にはキリストの十字架も何の為なのか?
それなら最初から神が神にふさわしい従順な
ロボットのような神の子を造ればと思わされます。
これは大きな誤解だと私は思うのです。
神の計画の為に選ばれる重要なキャストは
居ると思いますが、聖書の救いの原則は、
基本的にその個人の自由意思から神を求めて
神に従う信仰であると聖書から読みます。
聖書の言う予定や予知と言う言葉の意味は、
神の計画された出来事であって個人の
救いにまで決定されているとはならない。
信仰による救いとは、ロマ書8章にあるように
聖霊によって歩む者に与えられるその人の
神に従う意志が問われております。
聖霊によってのみ新生されて神の子となる
特権を得る事が出来ますが、その聖霊に
従わない人は御国の相続が無いと成ります。
ロマ書8:27までと、28節以降では矛盾した
パウロの言及だと認識しますが、前半は
救いは人の意志が御霊によって歩む人だと
言います。28節以降は予知とか予定とか
いう言葉が出来てきますが、この翻訳の
内容では矛盾を招く内容です。此処は個人の
救いの決定では無く、将来キリストに似た
存在になる人が現れる事を想定され、
そのように聖霊によって変えられた人を
救うと言う計画を予定されている。
と言う解釈の方が矛盾しない事になります。
パウロはテモテの第2の手紙2:4ではっきりと
神は全ての人が救われる事を望んでおられる
と言及しているからです。
神は、人が自らの意志で神に従う事が
必要なのだと知り、神の愛と恵みを
十字架と聖霊によって知り、神との深い
信頼関係を持とうとする人を探しておられ、
神の国民を選び、神の国を造ろうと計画されている。
天使だった悪魔の支配の中から
神の子の選びを計画されていると
私はそのように信じております。
