エペソ書2:8
8この恵みのゆえに、あなたがたは信仰に
よって救われたのです。
それはあなたがたから出たことではなく、
神の賜物です。
9 行いによるのではありません。
だれも誇ることのないためです。
10 実に、私たちは神の作品であって、
良い行いをするためにキリスト・イエスに
あって造られたのです。
神は、私たちが良い行いに歩むように、
その良い行いをあらかじめ
備えてくださいました。
救いの理論が誤解されているかもです。
キリストの十字架はアダムの罪過と、
モーセ律法の罪過(ルール違反の咎)が無効に
されたと言う神の一方的な恵みです。
それは全世界の人のアダムの罪過(ルール違反)
を十字架で帳消しにしたと言う恵みで、既に
完了いたしました。それ以降はアダムの罪過と
モーセの律法違反罪過によっては、
誰も裁かれなくなったのです。
神の恵みとはキリストの十字架によって
全世界の罪過(ルール違反)が完全に
帳消しにされたと言う事なのです。
ですが、それで全世界の人が救われる
と言うなら、万民救済論になりこれは
異端で間違いです。
十字架で罪過の帳消しが完成されても
個人の罪(的外れ)の状態は変わりません。
個人の罪(的外れ)の状態のままで
十字架では帳消しにする事はできないのです。
個人がそれぞれイエス様を信じる信仰
(信頼関係)で初めて罪(的外れ)の状態で
無くなり義とされるのです。
イエス様を信頼関係を持つ事で義と
されるわけです。
イエス様の十字架を信じる事で
赦しが有効になり救われると
誤解している方が多く、そうではなくて
蘇られたイエス様ご自身を主なる神として
信頼する事が救われる信仰なのです。
イエス様の十字架で全人類のアダムの罪過(ルール違反)
が帳消しにされ、信じなくても全世界の人へ
完済されています。
十字架上で「テテレスタイ=支払い完了」と
言われたので罪過の赦しは全世界に適応されました。
十字架は、神の愛と恵みを知る神の御業です。
しかし個人個人の罪の状態が
赦されたわけでは無く、イエス様を信じていない
状態ではすべての人は罪(的外れ)のままなのです。
そこで、自らの意志で神に立ち帰り心の方向転換しないと
個人の罪の状態は義へと変わらないのです。
キリストの十字架で罪過(ルール違反による罰則)
の赦しは完了したのですが、
個人個人がイエス様を信じていない状態では
罪の状態のままであるという事なのです。
罪の報酬は死です。滅びになります。
イエス様はヨハネ伝16:9で
「罪とは私を信じないから」だと言われました。
十字架以前は罪過(ルール違反)と
罪(的外れ状態)の2つの要素で
私達は裁かれる状態でした。
パウロはエペソ2:1でそのように
語っております。
ですので救いは
十字架の恵みによる罪過の帳消し+
個人個人の信仰なのです。
十字架では義とされません。
義とされるのはイエス様を信じ従う信仰です。
多くの人の誤解はイエス様の十字架の業を
信じるから罪の赦しが有効になると言う
考え方です。これは大きな間違いです。
十字架の恵みは、私達ではどうしようもない
罪過の死(アダムの違反)で滅びる運命に
なっていた私達の罪過を帳消しとされた事です。
その次に全世界の人々に神と和解する
チャンスが与えられたのです。
そのチャンスとは「信仰」です。
信仰の故に誰でも罪で無くなり
義とされるのです。
信仰とは蘇られたイエス様と信頼関係を
持つ事です。信仰に伴う事はイエス様の
戒めに従う姿勢です。イエス様の御言葉と
聖霊によって歩む生き方なのです。
その信仰で良い行いができるように
聖霊によって子とされ導かれる祝福を
得る事ができるようになったのです。
