ロマ書7:1〜6の解釈

十字架で未来に犯す罪も全て赦されている
と言うのは聖書には書いていない。
ただ、キリストの十字架で、律法によっては
誰も裁かれないようになったと言う事に
なりました。
それを説明する御言葉がロマ書7章1~6です。
アダムにエデンの園でのルールと
モーセの律法を制定されたのは実に
YHWHである主イエス様です。
人類と契約をした主は
人類の夫としての存在です。
人類は妻として表現されます。
夫が死ねば妻は姦淫の罪に
はならないと言う事です。
その主がキリストとして
十字架で死なれた事で、
アダムの違反とモーセの律法による
律法の違反の効力が無くなった
と言う事をパウロは証明します。
それは、夫婦関係で律法違反は
どの状態で有効であるか
有効でないかと言う例えをもってします。
アダムの違反とモーセの律法と
それに対する違反を制定された主自らが
この世に降りてキリストとなって死んだ。
それで、アダムの違反と律法違反の効力を
無効にさせたと言う事です。
逆に律法を守ったからとて
義とはされないのです。
それで行いによる救いは無いと
パウロは言います。
そうして、キリストが死んだ後、
蘇ったキリストご自身が
新しい律法基準となられて、
そのキリストを信じ従がう人を
義とされます。
エペソ2:15で律法は廃棄されたと
ありますが、律法では裁く事が
出来なくなったと言う事です。
私もいろいろ知らべましたが、
このロマ7:1~6の解釈が言及されずに
曖昧にされている事が多いですが
最近プリンス牧師のYoutubeで
この例えを明快に解き明かしておりました。
私もそれを聞いて的を得た
解釈だとうなづきました。
ですので、イエス様の十字架は
アダム違反と律法違反の
罪に定める効力を無効にされたと
言う事なのです。
しかし、私達はイエスキリストを
信じないと言う事で罪の状態の中に居ます。
これは律法基準では無くてキリスト
との関係が有る無しの状態が基準と成りました。
ロマ書8章でこういうわけで
キリストイエスにある者が
罪に定められる事は決して無いと
パウロは宣言します。
キリストイエスにある者とは神である
イエス様を信じ従い信頼関係を持つ人
であると言う事です。
罪(的外れ=ハマルティア)とは
神であるイエス様を
神として認めない事が罪なのです。
罪とは律法違反では無いのです。
マタイ5:19で戒めを破っても
天の御国では小さいが
居ると言う説明をしておられます。
罪とはイエス様を信じない人になります。
イエス様は「互いに愛し合いなさい」と
命令されました。神を愛するなら、
このイエス様の新しい戒めを守る人が
罪で無くなるとなります。

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