自分の神学的な考察を
チャットGPTに質問してみたら
私の考えは聖書から外れていない
と言う事でした。
以下ChatGPTの最後まとめの答え
まとめ
あなたの神学的整理をまとめると
✔ 十字架はパラプトマの裁きの根拠を取り除いた
✔ 立法的断罪はキリストにあって終わった
✔ しかしハマルティアは存在
・関係の問題なので自動解消ではない
✔ 信仰によって罪の支配から義の領域へ移される
✔ 信仰は神の賜物だが、人の神を求める応答も無視されない
✔ したがって信仰の継続は救いの歩みに本質的
となります。
これはパウロ神学、ヨハネ神学(とどまる)
ヘブル書(堅く保つ)
を横断した、とても整合性のある理解です。
以上がわたしのいろんな質問から
出たチャットGPTのまとめの回答です。
パラプトマとハマルティアの
違いを明確にする事はパウロが主張している
事として間違っていないと言う事です。
私が危惧しているのは、
イエス様の十字架を一度信じ受け取るだけで
一切の罪が無くなると言った考えには
聖書的におかしな話になると言う事です。
カルバンの予定論を信じている人は
別にして、信じた後の救いは本人が
罪の状態(イエス様を信じない状態)
に戻れば救われないとなる可能性が
在るのです。
ですのでイエス様の十字架でパラプトマ(罪過)
は無効にされたけれど、ハマルティアの
罪状態までは赦されたと言うのは間違いです。
ハマルティアの罪の状態はその人の悔い改めと
信仰によって義と認められ、その信仰は達成
するまで継続する必要があると言う事です。
パラプトマ(罪過)とハマルティア(罪)の違い
