礼拝2013年4月21日

2013年4月21日 主日礼拝のメッセージ
「更に父に愛されるために③」
マタイ25:31~46
どういう人が父に祝福されるのか?

時が来れば必ず全ての人は神の御前に裁きを受けます。ここで言う羊と山羊、右の者、左の者と分けられるとあります。驚くことに後述ではどちらも神を信じている、知っているという信者である事がわかります。
救いの約束は絶対的でイエスキリストを信じる信仰によって約束の神の国を受け継ぎます。これは、聖書の絶対的な法則です。ですので、消して行いを基準にして救われるのではありません。
ここでは、神の愛と恵みを知り、救われた者はその戒めを守り、善行が伴う真実の信仰者だと明らかにされるということなのです。真実の信仰者は良き実が結ばれていくという結果になるのです。逆に口先で信仰告白をして救われたと信じていても、何もしていないのは偽物だという事になります。何もしないということは結局、何も分かっていないということになります。
救いの完成は肉体が無くなる寸前までわかりません。聖霊により、新しく生まれ変わらなければ実を結ぶことはできません。だから、聖霊は救いの証印 だと使徒パウロは言いました。聖霊によって実を結ぶ信仰者に変えられて行くのです。
神様は聖霊を求めるものには必ずお送りくださいます。聖霊なくしては本物になれないと言っても過言ではありません。
イエスを信じていると言いながら、それが真実なのか、偽りなのかが明らかにされる時が来るのです。父に祝福された人とは、神を愛する=神が愛した弱き小さい者を愛する者だと教えています。
神の戒めは「互いに愛し合いなさい。」です。
神を愛するために、人を愛するのでは無くて、                                       戒めを守る=人を愛することで、知らないうちに神を愛することになっているのです。
よく日曜日の礼拝を守る事で神を愛していると満足している方がおられますが、それは違います。本当の礼拝者は日々の生き様が神の戒めによって生きているかが大切なことなのです。ローマ12:1.2
日曜日の礼拝の後、平気で他人の悪口を言っている人は非常に残念です。
戒めを守り、実践する者が本物であり、父に祝福される人であるという事です。父の御心は良い実を収穫する事です。私たちが父の喜ばれる良い実を結ぼうとするなら、必要な栄養は与えられるのです。
たとえば、土地が、その上にたびたび降る雨を吸い込んで、                        耕す人々に役立つ作物を育てるなら、神の祝福にあずかる。     へブル人への手紙6;7