礼拝2013年5月26日

2013年5月26日 主日礼拝のメッセージ
「真理とは何か?」                      
ヨハネによる福音書14:6
イエスは彼に言われた、                                             「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

真理と言う言葉について日本人は理解しがたい言葉だと思います。真理と言われるものが見当たらないからなんです。昔は天皇と言う絶対者(現人神)の名のもとに服従させられていた大日本帝国ですが、戦争に負けた今はそう言った存在がなくなりました。今では残念ながら、進化論を絶対論と信じている日本人にはなかなか理解できないようにされています。進化論とは全ての存在が意味無しで偶然に発生したと言う考えです。しかし、創造論というのがあり、創造者の意図により、すべての存在が意味有りの考え方です。簡単に申しますと、創造主なる神が居るか居ないかの違いです。真理(truth)とは「絶対的に変わらず、揺らぐことのない定義、事象、思考」と辞書にあります。                                                      実在の神がある目的、考え、計画のもとにこの天地万物を創造し保っている。この事実を人間に証明するために イエスキリストがこの世に現れたのです。それまではユダヤ人預言者を通して言葉による神の啓示がありましたが、それが具現化され現実となったのです。それは旧約聖書(ユダヤ教の経典)によるメシア(すなわちキリスト)救世主の400にも及ぶ預言の言葉を全てそれに当てはまるイエスキリストになります。だからイエスキリストが真理になるのです。全66巻の聖書にはいろんな人が述べ1600年間にわたって書かれた書物が編集されていますが、一貫性があります。それは人類救済です。このままでは人間の霊魂が滅びに至るので、神の国の永遠の命が与えられるチャンスが得れる約束なのです。聖書は死後の行方を教えており、倫理道徳の為だけに書かれた書物では無いのです。イエスキリストはこのような信じられないような話を、事実として裏付ける根拠として実証されるために、この世に現れてくださったのです。

最近では、真理と言えばオウム真理教が世間を騒がしました。残念な事に真理と言う言葉が、汚されてしまいました。真理と言うとおかしな宗教みたいに連想されてしまうのですが、もともと聖書の中でイエスキリストが真理だと言います。神の存在、そして神をこの世に具現化した存在が神の御子であるイエスキリストです。多くの人はイエスキリストが人間だと思っています。答えはイエスキリストは人間の肉体を所有された神です。十字架に架かる為に肉体を所有された神なのです。私がまだ神を知らない子供の時、不思議に思いました。イエスキリストが十字架にかかって死んだのに何故、英雄的存在なんだろう?この人は一体何をして世界中の人々から賞賛されているのであろうかと意味不明でありました。そこを知りたいと思う時がありました。

ヨハネの福音書1:8 
「神を見たものは一人もいない、ただ父のふところにいる一人子なる神だけが、神を現したのである。」
またへブル人への手紙1:1~3
「神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。」
目に見えない神がイエスキリストを通して神を現されたと言う事実が真理になります。 神さまは私たち人類に大きなチャンスを与えてくださいました。私たちの肉体の無くなった後、霊魂はなくなりませんが、その霊魂が父なる神のおられる神の国に永遠の命を持って招いてくださるというのです。そのチャンスが口約束だけでなく、神の御子が十字架で命を掛けた代償のゆえ、罪で汚れた私たちを買い戻してくださったのです。(理解をするには堕落した天使のことを知る必要があります。此処では省略します。)神は命をかけて私たちを愛しているということなのです。すなわち十字架の業は神の愛の現れなのです。これを通して神の愛を知るのです。この神の愛を知って、互いに愛し合いなさいというのが神の戒めになります。 神の愛を知ることによって、愛が大切なことだと悟り、人はそれを実行しようとするのです。(神の愛を知る方法は聖霊によります。)それは親が模範を示して子供を薫陶(悟す)するようなものです。最近の親は私も含めてだらしないので子供の模範になっていないですね。反省です。子供が正しく育つのは結局、親次第なんです。私たちの父なる神は愛の神なのです。だからこそ人間には神様の愛が必要なんですね。  私たちの絶対者、真理である神は、愛を持って神の国を約束してくださったのです。その具現がイエスキリストで、父なる神のもとに行く道であり、父なる神を現す真理であり、父なる神の永遠の命を約束してくださる方なのです。この事柄が聖書の中心です。このことを事実として受け止める人は幸いです。必ず人生が喜びに満たされます。生まれてきて良かったと言えるようになります。是非おすすめしたいと思います。