礼拝2013年6月16日

2013年6月16日 主日礼拝のメッセージ
「父なる神に帰る」                                       
伝道の書12:7
ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。

■今日は父の日ですが、まず私たちの創造主である霊の父である神に感謝しましょう。最初、神様は人間を土のチリで造ったと聖書にあります。私たちの肉体が死んだ後、土の中に埋めると土に変わります。しかし最初の人間アダムを造られた時、神様は鼻の穴から息(霊)を吹き込んで生きたものとなったと記され(創世記2:7)、人間には霊が宿っています、この霊が、神に帰るのだと聖書は記しています。そしてアダム以後、生まれる子供にもアダムから分かれて霊が入っていきます。(伝道の書11:5)私達もその子孫です。
■最初の人間のアダムとエバが、神の言葉を守らず禁断の木の実を食べたがゆえ霊魂の死罪が入り込みました。それ以来人間は神の前から追い出される状態になりました。コレが人類の罪で、霊魂の死罪になるのです。しかし、この死罪を赦免されるようにしてくださったのが神の御子イエスキリストなのです。この方が私たちの死罪の身代わりとなり死んでくださったゆえ私たちは死罪が無くなり赦されたのです。それと同時に神のもとに、帰る事ができ、神の国に入れるようにしてくださったのです。また、この地上に置いても神の祝福(恵みと平安)の中で休みが与えられるのです。人は誰でも自分の安息を求めています。安息を得るために仕事をします。しかし霊と魂の安息は神が与えてくださいます。私たちにはそれが無ければならないのです。
■神から離縁されていた人間は、もう一度、お父さんと呼べるようにしてくださったのです。そして父なる神は「おかえり」と言って抱きしめてくれるのです。(ルカ15:11~)このチャンスは神を求める全ての人に与えられます。求めるものには神の愛を知る事ができる聖霊が送られるからです(ルカ11:13)。この聖霊により神様を「お父さん」と言える親密感が現れます。(ガラテヤ4:6)。これは事実なのです。
■私達は神様に愛されるために造られました。神の愛を知るために人間は一度、アダムのゆえに罪というマイナスの領域に入りました。しかし、イエスキリストの故、罪が赦され、負の領域より”0”ゼロになったのです。しかし神様の愛は世のはじめから私達に対してプラスのままです。ですから神様に赦された私たちはゼロになり、神様に近づけば近づくほどプラスになって代えられていくのです。しかし、神様から離れていく人たちはマイナスのままなのです。神様の言葉を守り(互いに愛し合う)、全てを委ねて行くことがお父さんに近づくことなのです。そうすれば私たちは神の前にプラスになっていくのです。