礼拝2013年8月11日

2013年8月11日
「神は求める者に現れる」    

ヨハネ福音書4:25,26
4:25 女はイエスに言った、わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。
4:26 イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。

井戸に水汲みに来たサマリアの女性の話ですが、彼女の信仰を見て私達も神と出会う恵みを分かち合いたいと思います。
サマリアの人たちは、多民族との混血のゆえユダヤ人から軽蔑され純粋なユダヤ人でないとされておりましたが、この女性は、間違いなくキリストを待ち望んでいたのです。思いがけないところで、思いがけない時にこの女性はその約束を受けたのです。イエス様は敢えてこのサマリヤのスカルというこの街にこの女性に出会うために来られたと私は考えます。

キリスト(救い主)と出会ったと言う事とは神の約束が本当であったと言うことです。初めて会った女性の内情をすでによく知っていたイエス様の力は神のちからと知り、イエス様を預言者と見ました。そこでいつも不安な要素である礼拝の在り方について質問したのです。サマリア人としては真実に礼拝を捧げられているのかという不安があったのでしょう。その答えは果たして真実の答えであり、サマリア人にとっては神からの朗報なのです。その女性はだんだん確信が湧いてきたのです。そう、私達サマリヤ人も神に礼拝が捧げられるのだと喜びに満ちたことでしょう。そして、核心に迫る信仰の言葉を発するのです。それが
4:25なのです。彼女は聖書の御言葉を信じ、キリストを待ち望んでいました。その答えが26節です。
「私がそれです。」これはモーセに神の名を聞いた時の答えと同じ意味になります。「私は有る」これが、神の存在を明らかに示してくださった。最高の瞬間だったのです。かく言う私も神から直接、言葉を聞きました。それは、
イザヤ書41:10
「恐れてはならない、私はあなたとともにいる。驚いてはならない、私はあなたの神である。」

私は確信を得て、無謀にも公務員を辞めて牧師の道を決心しました。神が良しとしてくれたのだから、恐れるものは何一つありませんでした。求める者には必ず神からの答えが有るのです。

エレミヤ書29:13~14【口語訳】
あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる。わたしはあなたがたの繁栄を回復し、あなたがたを万国から、すべてわたしがあなたがたを追いやった所から集め、かつ、わたしがあなたがたを捕われ離れさせたそのもとの所に、あなたがたを導き帰ろうと主は言われる。

さて皆さん、傍観者になってはいけません。求めないと神と出会えないのです。神は御言葉を聞いて信じ求めようとする者にそれに伴う答えをくださいます。私には確信があります。神は無理矢理にあなたを信じさせようとして現れたりはしません。神の言葉を伝えてくれた人の言葉を聞いて信じようとする人に現れてくださるのです。

どうぞお求めになってください。このサマリヤの女性に直接キリストが現れた恵み。あなたにも起こります
ように・・・・心からお勧めします。