礼拝2013年11月24日

2013年11月24日今週のメッセージ
「塞翁が馬」
すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
箴言 3:6
■神はモーセを通してエジプトを脱出しましたが、
神が用意された約束の地に普通であればすぐに
たどり着ける距離であったのにも関わらず
40年間も荒野を彷徨い続けました。
それは、神を信じず不平不満を漏らした結果でした。
申命記8:2~10を見ると、敢えて神様は試練や苦難の道で
イスラエルの民がどのような心であるかを見るためであったと
記されています。人間は行き詰まったときに本性が出てきます。
その時、どんな言葉を出すかを神は聞いておられるのです。
■口偏に+(プラス)をつけると、「叶う」になります。更に-
(マイナス)を下につけると「吐く」になります。吐くは、
ネガティブな言葉です。しかし、ポジティブの言葉である
「叶う」は祈ることから始まります。
不平不満を語って問題が解決するなら、幾らでも言えばよい。
しかし、改善されるどころか更に悪循環を招くものなのです。
答えは、神に祈ることです。
■ピリピ人への手紙4:4~7
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい
繰り返して言うが、喜びなさい。
あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、
感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを
神に申し上げるがよい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない
神の平安が、あなたがたの心と思いとを、
キリスト・イエスにあって守るであろう。」
これは、牢獄の中からピリピのクリスチャンに宛てた使徒パウロの
手紙で牢獄中にも関わらず「喜びなさい」と励ますのです。
どんな、苦難や困難な逆境にあっても「思い煩うな」「喜べ」と
勧めるのです。神は傍に居られるので、祈る事を勧めています。
此処が信仰なのです。
不平不満をつぶやくのか?それとも、神に祈り委ねるか?なのです。
神様を知らない時にはよく「自分を信じろ!」とか言い聞かせて
ましたが それは自己暗示であり、自己満足なのです。人間窮地に
追いやられると無神論者であっても、必ず心の中で神様に叫ぶよう
にプログラムされているのだとつくづく思います。
■パウロはローマ5:5でこの世の何者も神の愛から引き離すことは
出来ないと断言しています。偽りない裏切る事をしない神の言葉と
心を信じるのです。
「塞翁が馬」という中国のことわざがありますが、悪いことは良い
ことに 成るものだと言う励ましの言葉です。しかし、そこには何ら
確証はありません。しかし、神様が愛を持って介入されており、
万事を益としてくださると信じれるなら、これほど素晴らしい事は
ないのです。
全ての道で(困難や苦難の道であっても)神は見ておられます。
神が傍に居られるなら悪いようにはならないと最後まで諦めず、
患難苦難に押しつぶされずに、前に向かう強い心が 神の平安の中で
与えられるのです。聖霊様が神の平安で満たすのです。
■私事ですが、以前、空いている店舗があるので教会として使って
欲しいとその物件のクリスチャンオーナーからお話がありました。
私に貸すようにと神様に示されたと聞き私はそれをお受けしました。
しかし、ある時、突然、オーナーから自分の教理に合わないから出て
行ってほしいと厳しい宣告がありました。
その時は非常に辛い思いがありましたが、この事で私は祈りました。
神様は私に更に祝福すると平安を与えられました。その後、自宅にて
集会を再会しましたが、そのおかげで病気の母親を向かえ入れて、
母親に半年の間に最後の親孝行をさせて頂き天国に見送りました。
また、その間に父親、知人、友人、4人が救われました。
これほど嬉しい事は無かったのです。自宅で集会がすることで
受け入れ体制が整えられたと言う事が分かったのです。
■自分では何故と想う辛いことも、いつも振り返って見ればただ感謝です。
「神様は将来を祝福する為に敢えてこの様にされたのだ」
神の愛を信じることで、どんな問題が襲うとも強い人になれるのです。
神様によって信仰・希望・愛を見出す人であれるようにお勧めします。