礼拝2013年12月29日

2013年12月29日 by admin
2013年12月29日メッセージ
求めさえすれば神に出会える
主は天から人の子らを
見おろして、神を尋ね求める、
悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
-詩篇14:2-
私が神様を信じる事が出来たいきさつです。
最初は確かに同級生の友に伝道されましたが、
にわかに信じることなんてできませんでした。
娘のアトピーが神様に癒されたというのです。
聖書の預言通りキリストが再臨して、キリストを
信じる者は天国に行き、信じないものは滅びると
言う生死に関わる切羽詰る内容でした。
普通ならこんなこと信じないのですが、聖書と言う
書物は昔から非常に気になり、何が書いてあるか
興味が起こり、しばらく教会に行ってみることに
しました。
そこで見たのは、病の癒し、悪霊の追い出し、
また不思議なことばかりでした。しかし、これが
聖書に書いてあることがそのまま行われていると
いうことでますます聖書を知りたくなり
また、神様が本当におられるなら知りたいと
思いました。
私の毎日の祈りはこうでした。
「この鈍感な私でも神様を知る事ができるように
してください。」この祈りだけでした。本当に神が
いらっしゃるなら私に示してほしいとお願いした
のです。1ヶ月経っても何もないなら神様は要ない
し、信じる価値も無いと決めようと思っていました。
果たして、そうこうしているうちに、私にいろんな
不思議な事が起こり始めました。信じざるおえない
事柄が次々に起こったのです。ある日、膝に溜まった
水で痛みをこらえて教会の礼拝に参加した時、
瞬時に癒された事がありました。これには驚きました。
その上に、聖書に書いてある通りに聖霊が私の中に
触れられました。これが神の愛を悟った時でした。
十字架の意味も分かりました。十字架は私のためでも
あったとわかったのです。その時、神の深い愛と恵が
私を包みました。それは味わった者しかわかりません。
ただ嬉しくて嬉しくて喜び泣きました。経験したもの
しかわからないことです。
あなたも神様の事を聞いたとき、探し求める祈りが
必要なのです。求めなければ神は霊であって、決して目
で見えることはありません。もっとも、私は偶然にも
キリストが映った写真を持っています。それを見せても
信じない人は信じません。(見たい人はお見せまします)
真実が聖書にあります。神が造られた人間の霊魂は
神の元に帰るべきなのです。神は生きておられると誰か
に聞いたなら探すべきです。求めるべきです。是非お勧め
します。決して宗教ではありません。本当に神が生きてお
られると私は200%300%断言します。「何故神が生き
ているなら神の方から助けてくれないの?」と聞く人は多い
ですが、神は既に救いと愛を啓示されました。それがイエス
キリストの十字架です。これを見て神の愛を信じる人は幸い
です。死から命に移されるのです。死後地獄にて滅びない
ように神の愛を示されたのです。信じるだけで救われます。
しかし、伝える人がいなくては信じようもありません。
私の目的は信者を増やすことでは無く、教会組織を大きく
したいという私の野心でもありません。一人でも多くの人が
神の救いを得て神の国に行けるようになる事です。
この世や肉体はやがて亡くなります。しかし、神の国は永遠
なのです。永遠のために信じ生きる事は今を生きる力になり
ます。180度あなたは変わります。生まれ変われるのです。
いくら石油の埋蔵している土地を与えられても、掘らなければ
それは手にできないのです。神と出会える人は掘る人です。
神様、そうイエス様との出会いを心からお祈りします。