礼拝2014年3月16日

2014年3月16日のメッセージ
「世の光となる」
マタイによる福音書5:14~16
あなたがたは、世の光である。山の上にあ
る町は隠れることができない。また、あか
りをつけて、それを枡の下におく者はいな
い。むしろ燭台の上において、家の中のす
べてのものを照させるのである。そのよう
に、あなたがたの光を人々の前に輝かし、
そして、人々があなたがたのよいおこない
を見て、天にいますあなたがたの父をあが
めるようにしなさい。
私たちは、青空が覆う昼間と暗闇の夜の中
を生活しておりますが、昼間は仕事に出て
活動し夜は家で休息をとります。昼間に活
動しているので昼間が本当の世界のように
見えますが、実は夜が本当の世界なのです。
地球は大気に覆われた奇跡の星です。これ
が無くなれば昼という存在はなく宇宙と言
う暗闇しか無く、夜が本当の世界なのです。
実に昼間は仮想空間と言う事になりますね。
夜は何も見えないので、活動できないので
すが、光があれば動くことが出来ます。夜
の航海は何を頼りにするのでしょうか?そ
れは光です。灯台の光、そして昔の人は星
を頼りに自分の位置を知り航海したのです。
この世は暗闇の中にあります。光が無けれ
ば何も見えないのです。多くの人は目が見
えるという事が当たり前に思っているかも
しれませんが、太陽の光が無いと目は全く
役立たずで、目が見えているのではなくて、
見える為に光に助けてもらっているのです。
その光の有難さも、昼間と言う光に満ちた
当たり前の世界にいるから光の有り難さに
気づけないのです。
昔、私は夜の森の中、キャンプ場の駐車場
に一人で車を止めに行って戻ってくるとき
懐中電灯を持ってくるのを忘れたのです。
引き返すにも、360度真っ暗で全く何も見
えません。これほど恐怖に襲われたことは
初めてでした。仕方がないので感で真っ直
ぐに歩きましたがすぐ右には崖があったの
で本当に怖かったです。しかし、しばらく
行けばキャンプ場の明かりが微かに見えま
した。この時の光の有り難さはなんとも言
えない平安を覚えました。このことで「光
の元へ」と言う曲を作りましたのです。
イエスさまは、「私は世の光です。私に従
って来る者は、闇の内を歩くことがなく命
の光を持つであろう」とおっしゃいました。
多くの人は、この闇の夜では真実が見えず
に方向が分からずに生きています。誰も自
分の命の確信が無く無意味にただ彷徨って
いるだけなのです。闇の中でどっちへ行っ
たらいいのか、手探りで答えを見いだせな
いままうろうろしているだけでそのうち死
がやってくるのです。年を取れば取るほど
この虚しさに襲われるのです。しかし、命
の光を見つけた人はもう迷うことが無いの
です。歩き方がわかるからです。つまづく
事が無くなるのです。その人は闇夜を航海
する灯台や星をとらえたのです。この世に
は真理(絶対なる事柄)がありません。た
だ、イエス様だけが真理であり、命であり、
道であり、光なのです。
私たちは闇夜でもう彷徨わなくて良いので
す。もちろん、あなたにもその光が差し込
んでいるのです。
そして、光を見てその方向へ向かうならば
命を得るのです。私達のために暗闇に月を
用意されました。月の光は太陽の光の反射、
それはイエスキリスト。キリストを見て父
なる神を見たのと同じ如く、今度は私たち
が神の霊によってこの世に輝く星ぼしとな
って神の栄光を現していくのです。父なる
神の輝きけるように恵みを与えてください
ます。溢れるばかりに恵みを与え続けて源
泉かけ流し温泉のようにあふれて溢れる恵
みを多くの人に与える事が出来るようにし
てくださる方なのです。
そのように神の恵みに満たされて生きる人
こそ真の礼拝者なのです。イエスさまは私
たちにも「世の光」になりなさい。とおっ
しゃいました。それが聖霊に満たされて生
きることなのです。それが神様の御心です。
「どうぞ、私を神の光で輝かせてください。
そのために神の霊によって満たしてくださ
い!」 日々求めつづけ、祈りましょう!
必ずあなたを新しくしてくださいます。
あなたを、溢れるほどに恵みを与えてくだ
さるのはあなたを通して神の素晴らしさを
お伝えしたいからです。自分に責める事が
あったとしても、私なんかと思わずに躊躇
せずにどうぞ求めてください。
闇の夜の光となれる力を与えてくださるの
は神様の御心なのです。
この世の暗闇の道標になるのです。
あなたの遣わされた場所で輝いてください。
まずは微笑みから・・・・