礼拝2014年4月13日

2014年4月13日のメッセージ
「キリストの受難」
詩篇22編1~3【口語訳】
聖歌隊の指揮者によってあけぼののめじかのしらべにあわせてうたわせたダビデの歌
わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。 しかしイスラエルのさんびの上に座しておられる/あなたは聖なるおかたです。

「わが神、わが神、なにゆえ私を捨てられるのですか?」
十字架の上で語られたイエスキリストの言葉です。この言葉、実は詩篇22編の冒頭の御言葉です。キリストのこの世に降りてこられる約1000年前にイスラエルの王ダビデによって書かれたものですが、この詩篇22編には、明快に十字架の預言が書かれております。イエス様は明らかに、今この詩篇22編が成就していると言う事を宣言していると言ってもおかしくないのです。
ある宗教家がこの言葉を聞いて「キリストが神に見放されたではないか、彼は神の子では無い!」と断言されたのですが、この言葉の本当の意味を知らないが故に断言したと言えます。
イエスがキリスト(救世主)であることは何が証明するのか?それは旧約聖書(ユダヤ人の聖書)に書かれている400余りのキリストについて書かれている預言が全部当てはまるのがまさしくこの方なのです。それはありえない確立なのです。それが証明です。
イエス様はこの文頭の言葉をアラム語で「エリ エリ レマ サバクタニ」と叫ばれました。いろんな解釈がされますが、詩篇22編を叫ばれ、今預言が成就したことを示唆されていると言っても過言では無いと思うのです。キリストは十字架にかかるために来たのだと自らの定めを覚悟されていたのですから、このような言葉は不信仰極まりない言葉になります。
しかし、詩篇22編が成就するという言葉ならこれはまさしく神の御業なのです。神の深い愛と計画に基づいてなされたのです。特に「着物をくじで分ける」などの預言はここに成就します。そしてこの22編の最後には神の救いの希望があからさまに讃美されております。
十字架の御業は私たちを「死ぬほど愛しているよ!」と言う神様の表現なのです。そう、あなたのためにも十字架の上で苦しみ耐えられたのです。そんな方が私たちの神様なのです。偉そうに「私が神だから言うことを聞け、言うことを聞かないなら地獄だぞ!」なんて脅す神ではなくて、まず、私たちに愛を示されたのです。そして私たちがその愛に触れることを待っておられます。それは無理やりなやり方ではないのです。
このような、すばらしい方が私たちの造り主、神であるのです。信じる事に躊躇することがあるでしょうか?神の深い愛を受け入れる方は幸いです。
良ければ、20年前に作った私のオリジナルの曲を聴いてください。