高慢は病気である。

2020年7月11日

2018年2月25日 ·
高慢は病気である。

テモテへの第1の手紙6:4~6

6:4 その人は高慢になっており、
何一つ悟らず、疑いをかけたり、
ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。
そこから、ねたみ(嫉妬)、争い(恨み憎しみ)、
そしり(批判)、 悪意の疑り(猜疑心)が生じ、
6:5 また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、
すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、
絶え間のない紛争が生じるのです。
6:6 しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、
大きな利益を受ける道です。

人間は全ての人が基本プライドがあります。
そのプライドが高すぎる高血圧でなくて高慢(傲慢)です。
基本ほとんどの人は高慢です。この私も例外ではありません。
高慢と言う病はかかっている事に気付かないものです。
高慢であることに気付く人は幸いです。
対処し抑制する事が出来るようになるからです。

高慢は、次の症状が現れます。

◆学ぶ姿勢が無い(自分が正しい)聞く耳を持たない
◆疑いをかける(疑心難儀)相手を理解しようとしない。
◆言い争い  (負けず嫌い) 相手の言葉で機嫌が悪くなる
◆ねたみ   (嫉妬)相手の幸せを素直に祝えない気持ち
◆争い     (恨み憎しみ)相手を殺そうとする心
◆そしり   (批判)自分を正当化する心
◆悪意の疑り (猜疑心)相手に悪意があると疑う心

これらはプライドが高すぎる結果です。
誰かと比較して自分の位置を考える人です。

これは、病気のサインです。

感情だけで行動すれば自分で自分の首を絞めます。
理性とは考え方です。理性(考え方)により感情に
ブレーキをかけなければなりません。
それが敬虔の利得手段だと言えます。

神様の御言葉にお従いする事で自分を節制するのです。
イエス様と歩くという事はこの事です。
そうすれば、魂の平安が勝ち取れます。
感情を押さえつける事は確かに忍耐しなければなりません。
しかし、その向こうに、神様が必ず良い結果を出してくださるという信頼関係が全てを解決します。

敬虔な信仰が自分をコントロールするのです。
それに伴って良い結果を神様が与えてくださるのです。

高慢と言う病に打ち勝つその秘訣は、
神の絶大な愛によって満足する心です。
聖霊様の満たし導きです。感情的になった時に

まずは神様の前にへりくだる事です。
そして、聖霊様にお祈りしましょう!

そして、神様の言葉によって生きようと決心することです。

必ず、平安が訪れ、病は癒されます!