ピントを外さないように!

2020年1月15日
ピントを外さないように!

写真を撮る時、何処にピントを合わせるか、
被写界深度を決めるのにどれほど絞るか大切です。

多くのクリスチャンは
ピントの合わせるところが違うのでは・・・
合わし方が分からないのでは・・・と
思わされることが多いのです。

神様の前でどうあれば良いか?という事です。

ある人はこう言います。

日曜日の礼拝を守らないのはダメ!
伝統を守らないとダメ!
礼拝の途中参加はダメ!
教会の奉仕をしないのはダメ!
献金しないのはダメ!
伝統的な讃美で無いとダメ!
ワーシップソングはダメ!
奏楽楽器はオルガンだけしかダメ!
聖書はタブレットやスマホアプリではダメ!
あの有名な聖人を知らないとダメ!
礼拝にジーパンを着て来たらダメ!
伝道しないとダメ!
人を救わないとダメ!

神様の前でどうあれば良いかというよりも
お重の隅を突っつくようで、
細かい所をダメダメ攻撃で、禁止事項ばかりです。
これは健全な信仰になりません。
すみません、これは他教会の批判ではありません。
どんなスタイルの教会であっても素晴らしいです。
問題は教会の具体的なやり方では無くて

ピントを合わせると言う事なのです。

では、どうであれば良いのか?

皆様、自分で考えるべきです!Let’s think!

答えは聖書の「主の祈り」にあります!

イエス様がこのように祈りなさいと言ったのは。
このようであるように願いなさいと言うことです。

では、この「主の祈り」を多くの人が
分かって祈っているのでしょか?

訳が分からないまま祈っておられませんか?

よつばキリスト教会では
この「主の祈り」を
シンプルに教えております。

しかし、罪ある人はこの主の祈りを
受け入れ難いかもしれません。

その罪というのは自己実現の為に生きる人です。

「主の祈り」の本質は神様の実現だからです。

「まず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば
人間に必要な物は全て添えて与えられます。」
マタイ6章

これがストレートな答えになります。

神の国と神の義を成立させることができなくとも
実現できるように求める姿勢であり、意志なのです。

その心になる為に父なる神様は聖霊を下さるのです。
聖霊は求める人に与えられます。

そこにピントを合わせる事が正しいのです。

讃美や礼拝のスタイルなどこだわる必要性は全く無いのです。
そんなことは、イエス様は指示しておられません。
イエス様が指示されたのは聖餐式ぐらいでしょう。

エクレシアとしての教会は大切です。
イエスの聖名によって集まる事が大切です。

※写真は去年行きました、五島列島の五輪天主堂です。
五輪真弓の出身地と聞いてます。
海上タクシーでしか行けない場所で、
旧会堂と新会堂と並んで見えます。
今も信徒さんがミサを捧げておられます。
この山の向こうで、すし詰め拷問で殉教された
場所があります。